永福寺跡 (鎌倉市)
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永福寺跡 (鎌倉市) (ようふくじあと)は、鎌倉時代に創建された天台宗の寺院跡である。
概要[編集]
源頼朝が頼朝の奥州攻めで亡くなった源義経や藤原泰衡などの武将たちの鎮魂のために建立した寺院である。後に鎌倉幕府の庇護のもと、天台宗の寺院となった。建物は中尊寺(平泉)の二階大堂大長寿院を手本として作られた[1]。そのため地名の二階堂が今も残る。 1405年(応永12年)に寺院は焼失し、その後再建されず廃寺となった。1983年から1996年の発掘調査によって本堂(二階堂)の両側に阿弥陀堂、薬師堂の三堂が横に並んでおり、その前面に広い池が作られ、中の島や釣殿がある浄土式庭園と想定されている。1966年(昭和41年)6月14日に国の史跡として指定された。:2022年10月15日(土)~12月4日(日)に神奈川県立歴史博物館で、特別展「永福寺と鎌倉御家人」が開催された[2]。
- 名 称:永福寺
- 山 号:不明
- 宗 派:天台宗
- 本 尊:不明
- 所在地 :神奈川県鎌倉市二階堂209
- 交通 :鎌倉駅からバス鎌倉宮(大塔宮)」行きバスで終点「鎌倉宮(大塔宮)」で下車、乗車8分そこから徒歩5分