樺太庁
樺太庁(からふとちょう、旧字体:樺太廳)は、日本が領有した樺太南部(北緯50度以南)を管轄した行政機関である。1907年(明治40年)4月1日に設置され、軍政下の樺太民政署から行政を引き継いだ。庁舎は当初大泊に置かれ、のちに豊原へ移った。[1][2]
設置[編集]
1905年(明治38年)、日露戦争の講和条約であるポーツマス条約により、日本は樺太のうち北緯50度以南を領有した。1907年3月15日に公布された樺太庁官制(明治40年勅令第33号)が同年4月1日に施行され、樺太庁が発足した。初代長官には樺太守備隊司令官の楠瀬幸彦が就任した。[1][3][4]
組織と事業[編集]
樺太庁長官は管内の行政を統括し、庁令を出す権限を持った。管内には地方の事務を担う支庁が置かれ、必要に応じてその下に出張所が設けられた。長官を監督する官庁は時期によって異なり、1929年(昭和4年)に拓務省が設置されると拓務大臣の監督下に入り、1942年(昭和17年)の同省廃止に伴い再び内務大臣の監督下に入った。[3][5]
樺太庁は教育や警察、産業に関する事務のほか、鉄道や郵便・電信などの事業も担った。1936年(昭和11年)に設けられた交通部には土木・逓信・鉄道の各課が置かれた。1943年(昭和18年)の内地編入に伴う再編で、鉄道事務は鉄道省、逓信事務は逓信省の所管となった。[6][7]
内地編入と廃止[編集]
樺太では当初、「樺太ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律」に基づき、内地の法律を勅令によって施行する仕組みが採られた。1918年(大正7年)の共通法では同法上の内地として扱われ、1943年4月に正式に内地へ編入された。このときも樺太庁は存続し、官制の改正により長官が庁令で定められる事項の範囲が広がった。[1][2][8]
1945年(昭和20年)にソ連軍が南樺太を占領し、樺太庁による現地での統治は事実上終わった。翌1946年1月30日には、日本政府内で樺太に関する事務が内務省から外務省へ移された。戦後、樺太庁官制を明示的に廃止する措置は取られなかったが、国家行政組織法が施行された1949年(昭和24年)6月1日をもって、樺太庁と樺太庁長官の職は廃止されたとされる。[1][5][9]
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 樺太庁編『樺太庁施政三十年史』樺太庁、1936年。