日本海軍工作艦明石

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明石(あかし)は大日本帝国海軍が計画・建造した唯一の本格的工作艦である。艦艇の応急修理から大規模な修理、部品製造までこなせる、当時の日本が保有しうる最高の工作能力を持つ艦として建造された。その能力は、戦況の悪化する太平洋戦争後期において、大きな役割を果たすことが期待された。

概要[編集]

「明石」は、老朽化しつつあった練習艦「朝日」の代艦として、また、急速に近代化・大型化する日本海軍の艦艇に対する整備能力の向上を目的として計画された。従来の給糧艦給油艦のように特定の任務に特化せず、広範な種類の艦艇修理に対応できる万能型工作艦として設計された点が特徴である。

当時の日本は、遠隔地での艦隊行動を重視する「漸減邀撃作戦」構想を掲げており、これに伴い、前線での艦艇の維持・修理能力の確保が急務とされていた。しかし、陸上施設では対応しきれない事態や、緊急性を要する修理には、洋上での機動的な修理能力が不可欠であった。そこで、移動可能な修理ドックと形容されるほどの高度な設備を備えた工作艦「明石」の建造が決定された。

建造計画は第三次海軍軍備補充計画マル3計画)に基づき、1936年昭和11年)に佐世保海軍工廠で起工された。当時、既に列強各国は専門の工作艦を保有しており、日本の立ち遅れが指摘されていた。本艦の建造は、そうした遅れを取り戻すとともに、将来の戦争を見据えた海軍力の拡充の一環として位置づけられた。

設計と能力[編集]

「明石」の最大の特徴は、その卓越した工作能力にあった。船体内部には、旋盤、フライス盤、ボール盤、研削盤、溶接機、鍛造設備、鋳造設備など、ありとあらゆる種類の工作機械が搭載された。これらの機械は、艦艇の損傷箇所を修理するための部品製造、あるいは損傷した部品の修復を可能とした。また、電気関係、光学兵器、通信機器などの精密機器の修理にも対応できる専門の区画が設けられていた。

搭載された工作機械の種類は実に多岐にわたり、合計で約160種類、約400台に及んだとされる。これらを運用するため、機関科員のほかに、各分野の熟練した技術者が多数乗艦した。これらの技術者は、造船、機関、兵器、電気、通信、光学など、多岐にわたる専門分野の出身者で構成されており、まさに「動く工廠」と呼ぶにふさわしい陣容であった。

また、修理作業を円滑に進めるため、艦内には多数の資材を保管する倉庫が設けられ、予備部品や原材料などが常にストックされていた。損傷した艦艇から直接部品を取り外して修理したり、新たに部品を製造したりすることが可能であったため、前線での修理効率は飛躍的に向上した。

加えて、潜水作業を行うための潜水夫、小型船を修理するためのクレーン、さらには艦艇の船底清掃を行うための装備なども備えられていた。これらの設備は、損傷した艦艇を曳航・接舷して修理を行うだけでなく、単独で係留中の艦艇に対してサービスを提供することも可能にした。

艦歴[編集]

「明石」は1938年(昭和13年)に竣工し、連合艦隊に編入された。当初は、訓練や演習を通じてその能力が検証され、運用のノウハウが蓄積された。太平洋戦争開戦後は、主にトラック諸島ラバウルなどの主要な前進基地に派遣され、損傷した艦艇の修理に従事した。

特に、ミッドウェー海戦で損傷した艦艇や、ソロモン諸島方面での激戦で被害を受けた艦艇の修理に貢献したことは特筆される。航空機の損傷、魚雷による船体への破孔、砲弾による構造物の破壊など、様々な被害を受けた艦艇が「明石」の支援によって戦線に復帰した。その修理能力の高さから、前線の将兵からは「明石が来れば何とかなる」とまで評されたという。

しかし、戦局が悪化し、制空権・制海権が連合国側に移ると、「明石」の行動も次第に制限されるようになった。移動中のアメリカ軍機による空襲や潜水艦による攻撃の危険性が高まり、修理作業も困難を極めた。

1944年(昭和19年)2月、トラック島空襲において、停泊中にアメリカ軍の航空母艦搭載機による大規模な空襲を受け、魚雷と爆弾の直撃を受けて大破した。修理不能と判断され、同地で放棄された。その最期は、日本海軍が前線での艦艇維持に尽力した姿を象徴するものであった。

豆知識[編集]

  • 「明石」という艦名は、兵庫県明石市に由来する。
  • 「明石」は、太平洋戦争中に日本海軍が保有した唯一の本格的洋上工作艦であったが、その能力はアメリカ海軍の同種艦と比較しても遜色ない、あるいはそれ以上の部分もあったとされる。しかし、その絶対数が圧倒的に不足していたことが、戦局の悪化と共に響いた。
  • 「明石」の艦内には、将校用の娯楽室や理髪室なども完備されており、長期にわたる洋上生活を快適にするための配慮がなされていた。
  • 戦後、アメリカ軍がトラック島で「明石」の残骸を調査した際、その搭載された工作機械の種類の豊富さと精度に驚嘆したという逸話が残っている。

関連項目[編集]

参考書籍[編集]