日暮里

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日暮里(にっぽり)は、東京都荒川区南西部の地名・地域名。現在の東日暮里・西日暮里一帯を指し、日暮里駅や西日暮里駅を中心に市街地が広がる。日暮里繊維街や、江戸時代以来の寺社・史跡で知られる。

地名の由来[編集]

古くは「新堀」と書かれ、室町時代の文書にも「につぽり」などの名が見られる。

江戸時代中期には、寺院の庭園や四季の景色を楽しむ行楽地として親しまれた。一日を過ごしても飽きない「日暮しの里」という呼び名から、「日暮里」の字を当てるようになったといわれる。1877年(明治10年)には、新堀村が正式に日暮里村へ改称された[1]。

歴史[編集]

高台や斜面には縄文時代・弥生時代の遺跡があり、道灌山遺跡や日暮里延命院貝塚などが知られる。江戸時代には寺院が点在する景勝地となり、多くの文人が訪れた[2]。

1905年(明治38年)に日本鉄道の日暮里駅が開業し、1931年(昭和6年)には京成電鉄の日暮里駅も開業した。鉄道の乗り換え拠点となったことで、市街地としての発展が進んだ[3]。

1932年(昭和7年)には、北豊島郡の日暮里・南千住・三河島・尾久各町の区域をもって荒川区が成立した[4]。

東京大空襲で大きな被害を受けたが、戦後には区画整理が進められた。また、日暮里駅前には露店から発展した駄菓子問屋街が形成され、昭和20年代から50年代にかけてにぎわった[3]。
1971年(昭和46年)には、西日暮里駅が開業した。

地域の特徴[編集]

日暮里繊維街[編集]

日暮里駅の東側には、日暮里中央通り沿いの約1キロメートルにわたって、生地や服飾用品などを扱う店が集まる日暮里繊維街がある。洋服や和服の生地、服飾小物、付属品などが販売されている[5]。

古布や裁ち落としなどを扱う業者が移ってきたことを背景に繊維産業が発達し、大正時代末ごろには繊維問屋街が形成された[3]。

寺社と史跡[編集]

駅の西側には、諏訪台や道灌山などの高台がある。諏方神社をはじめ、「月見寺」と呼ばれた本行寺、「雪見寺」の浄光寺、「花見寺」の青雲寺・修性院など、歴史のある寺社が集まっている[2][6]。

台東区の谷中方面にも近く、谷中銀座商店街へ通じる階段「夕やけだんだん」は西日暮里三丁目にある[6]。

交通[編集]

日暮里駅には、JR東日本の山手線・京浜東北線・常磐線快速、京成電鉄、東京都交通局の日暮里・舎人ライナーが乗り入れる。京成の特急「スカイライナー」も停車する[7][8]。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ↑ 歴史探訪・地名の由来、荒川ゆうネットアーカイブ、荒川区。
  2. ↑ a b 荒川区の歴史、荒川ゆうネットアーカイブ、荒川区。
  3. ↑ a b c 第4章 地域別街づくり方針、荒川区、138・150頁。
  4. ↑ 荒川区基本計画(平成19年度~平成28年度)資料「荒川区の沿革」、荒川区、189頁。
  5. ↑ 繊維のまち、荒川区。
  6. ↑ a b 荒川区の高台、日暮里の台地を歩く、荒川区立図書館。
  7. ↑ 日暮里駅、京成電鉄。
  8. ↑ 日暮里、東京都交通局。

外部リンク[編集]