日向 (戦艦)

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日向(ひゅうが)は、大日本帝国海軍戦艦扶桑型の改良型である伊勢型戦艦の2番艦として建造された。艦名は宮崎県の旧国名である日向国に由来する。

概要[編集]

日向は、1915年大正4年)5月6日三菱重工業長崎造船所で起工され、1917年(大正6年)1月27日に進水、1918年(大正7年)4月30日に竣工した。姉妹艦の伊勢と共に、日本海軍の主力艦隊の一翼を担った。

竣工時の兵装は、35.6cm連装砲6基12門、14cm単装砲20門、8cm単装高角砲4門、53cm魚雷発射管6門であった。速力は23ノット。

戦歴[編集]

日向は、太平洋戦争開戦時には戦艦部隊の一員として行動した。

1942年昭和17年)5月5日に、伊予灘で訓練中に第五砲塔が爆発事故を起こし、修理のため呉海軍工廠に入渠した。この事故をきっかけに、同型艦の伊勢とともに航空戦艦への改装が計画された。

1943年(昭和18年)5月1日から11月30日にかけて、日向はにおいて航空戦艦への改装工事を受けた。後部砲塔を撤去し、航空甲板と格納庫を設置、搭載機として水上偵察機「瑞雲」艦上爆撃機「彗星」(偵察型)を運用する予定であったが、実際の運用では十分な航空機を搭載することはできなかった。

改装後は、レイテ沖海戦小沢艦隊囮部隊として参加。エンガノ岬沖海戦において、多数の航空攻撃を受けながらも奮戦し、生還した。

1945年(昭和20年)7月24日呉軍港空襲においてアメリカ海軍空母艦載機の攻撃を受け、大破着底。終戦までそのままの状態で残された。

戦後、1947年(昭和22年)に浮揚解体された。

豆知識[編集]

  • 日向の艦橋は、他の戦艦と異なり、上部構造物が非常に複雑な形状をしていたことで知られている。
  • 航空戦艦への改装後も、日向は戦艦としての主砲を保持しており、砲撃能力と航空機運用能力を併せ持つ特異な存在であった。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 雑誌『丸』編集部編『日本海軍艦艇写真集 戦艦・巡洋戦艦』(光人社、1997年)
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』(ベストセラーズ、1994年)