伊勢型戦艦
伊勢型戦艦(いせがたせんかん)は、大日本帝国海軍が建造した戦艦の艦型である。扶桑型戦艦の改良型として計画され、2隻が建造された。
概要[編集]
伊勢型戦艦は、八八艦隊計画の一環として計画された巡洋戦艦である扶桑型戦艦の設計を基に、防御力と速力、特に主砲の斉射能力の向上が図られた艦型である。主砲配置の変更により、斉射時の干渉を抑えることに成功した。
1915年に1番艦「伊勢」が、1916年に2番艦「日向」がそれぞれ起工され、1917年から1918年にかけて竣工した。両艦とも太平洋戦争開戦時は旧式化が進んでいたものの、ミッドウェー海戦での空母多数喪失という事態を受けて、航空戦艦へと改装されたことで知られる。
艦型[編集]
船体は長船首楼型を採用し、艦首から艦尾にかけて緩やかな傾斜を持つ甲板が特徴である。主砲は35.6cm連装砲6基12門を搭載し、艦前部に2基、艦中央部に2基、艦後部に2基を配置した。この配置は扶桑型戦艦の中央部主砲塔配置の欠点を改善するものであった。副砲として14cm単装砲20門、高角砲として8cm単装高角砲4門、さらに53.3cm魚雷発射管6門を装備した。
機関はパーソンズ式蒸気タービン4基4軸推進で、速力は23ノットを発揮した。防御力も強化されており、舷側装甲は最大305mm、甲板装甲は最大98mmであった。
航空戦艦への改装[編集]
太平洋戦争開戦後、アメリカ海軍との空母戦力差を埋めるため、伊勢型戦艦は航空戦艦への大規模な改装を受けることになった。これはミッドウェー海戦での空母喪失が大きな要因であった。
改装は1943年に開始され、後部主砲2基(5番・6番砲塔)を撤去し、その跡に飛行甲板とカタパルトを設置、艦載機を搭載・運用できるようにした。航空機格納庫も設けられ、爆撃機や偵察機など約20機を搭載可能とされた。これは戦艦と航空母艦の能力を兼ね備えるという、世界的に見ても珍しい試みであった。しかし、搭載機の訓練不足や燃料不足などから、実戦での航空機運用はほとんど行われなかった。
同型艦[編集]
戦歴[編集]
伊勢型戦艦は、竣工後、第一次世界大戦には間に合わず、その後は主に訓練や演習に従事した。太平洋戦争開戦後は、戦局の推移とともに様々な任務に就いた。
航空戦艦への改装後は、レイテ沖海戦における囮部隊として参加し、米軍機動部隊を誘引する役割を担った。その後は呉軍港空襲などで大破・着底し、終戦を迎えた。
豆知識[編集]
伊勢型戦艦は、航空戦艦という特異な形態に改装されたことで知られていますが、この改装の背景には、日本の航空母艦の整備が遅れたことと、開戦後の空母戦力の壊滅がありました。結果として、戦艦としての主砲攻撃力と、航空機運用能力という、二つの異なる能力を中途半端に有する艦となりました。
関連項目[編集]
参考書籍[編集]
- 『世界の艦船 増刊第79集 日本戦艦史』(海人社、2008年)
- 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』(ベストセラーズ、1994年)