夕張 (軽巡洋艦)
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夕張(ゆうばり)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦。夕張型軽巡洋艦の1番艦(そして唯一の艦)である。ワシントン海軍軍縮条約後の日本の艦艇建造における、革新的な設計思想を体現した艦として知られる。
概要[編集]
「夕張」は、1921年6月5日に佐世保海軍工廠で起工され、1923年3月5日に進水、同年7月31日に竣工した。本艦の設計は、それまでの軽巡洋艦の概念を覆すものであった。従来の5,500トン型軽巡洋艦の火力・防御力を、より小型の船体に凝縮することを目指し、平賀譲造船官が中心となって設計された。
この設計思想は、軍縮条約の制限下で、いかに効率よく戦闘力を確保するかという日本の海軍戦略を象徴するものであった。船体構造に船体と一体化した防御装甲を採用し、軽量化と防御力向上の両立を図った点が特筆される。この手法は、その後の日本海軍艦艇の設計にも大きな影響を与えた。
武装は、従来の5,500トン型軽巡洋艦と同じ14cm単装砲6門を搭載しながら、船体中央部に集中配置することで射界を広げた。また、魚雷発射管も連装2基を搭載し、強力な雷撃能力を持っていた。
しかし、その革新的な設計ゆえに、居住性の悪さや凌波性の不足といった問題も抱えていた。特に凌波性については、艦首の形状が波を被りやすく、荒天時には運用に支障をきたすことがあった。
艦歴[編集]
就役後、「夕張」は主に偵察任務や駆逐艦隊の旗艦として運用された。その高速性を活かし、演習などでも活躍した。
- 1923年7月31日:竣工。
- 1923年12月1日:第一水雷戦隊に編入。
- 1927年8月24日:美保関事件に遭遇するが、関与せず。
- 1932年:第一次上海事変に際し、中国沿岸に出動。
- 1937年:日中戦争本格化に伴い、中国方面へ出動。
- 1941年:太平洋戦争開戦時には、南洋部隊に所属し、ウェーク島の戦い、ラバウルの戦いなど初期の作戦に参加した。
- 1942年5月:珊瑚海海戦では、MO攻略部隊(ポートモレスビー攻略部隊)の一員として行動。
- 1942年8月:ソロモン諸島方面へ転戦。ガダルカナル島の戦いでは、鼠輸送(東京急行)の支援や、ルンガ沖夜戦などに参加。
- 1943年:主にソロモン諸島、ニューギニア島方面での輸送任務や護衛任務に従事。
- 1944年4月27日:トラック諸島沖でアメリカ海軍潜水艦「ブルーギル」の雷撃を受け、大破。翌日沈没。
エピソード[編集]
「夕張」の主任設計者である平賀譲は、本艦の完成後、「巡洋艦の理想は夕張にある」と語ったと伝えられている。これは、限られた制約の中で最大限の性能を引き出すという、平賀の設計思想を端的に表す言葉である。
豆知識[編集]
- 「夕張」という艦名は、北海道を流れる夕張川に由来する。
- 「夕張」は、日本の軽巡洋艦としては初めて、単独の形式を持つ艦であった。
- 後に建造される最上型や利根型など、日本海軍の巡洋艦の設計に大きな影響を与えた。
関連項目[編集]
参考書籍[編集]
- 『世界の艦船 増刊第32集 日本巡洋艦史』海人社、1992年。
- 『歴史群像 太平洋戦史シリーズVol.32 軽巡 夕張・川内型』学習研究社、2001年。
- 福井静夫『日本海軍艦艇写真集 軽巡洋艦』KKベストセラーズ、1981年。