塩澤君夫
塩澤 君夫(しおざわ きみお、1924年1月7日[1] - )は、日本経済史家。名古屋大学名誉教授、愛知県立大学名誉教授[2]。
経歴[編集]
東京・小石川生まれ[3]。1941年東京府立第五中学校卒業。1943年第一高等学校文科乙類卒業、東北帝国大学法文学部経済学科入学[1]。1944年学徒動員[1][4]。1945年召集解除、復学。1947年東北帝国大学法文学部卒業、東北帝国大学助手(法学部勤務)。1950年東北大学経済学部講師。1951年名古屋大学経済学部助教授[1]。1962年「古代専制国家の構造」で経済学博士(東北大学)[5]。1964年名古屋大学経済学部教授、1972年同大学経済学部長(1974年まで)[1]、1973年同大学大学院経済学研究科附属国際経済政策研究センター初代センター長(1974年まで)[6]。1987年停年退官、名城大学商学部教授[1]。1991年愛知県立大学学長(1998年まで)[7]。
土地制度史学会理事(1963年-)、日本学術会議会員(第10-12期、1975-1985年)、社会経済史学会理事(1979年-)[1]、財団法人大幸財団理事長[2]、一宮市博物館運営等指導委員も務めた[8]。
名古屋大学でのゼミ生に川浦康次、大江志乃夫、長谷正視、近藤哲生などがいる[9]。
人物[編集]
寄生地主制の成立と幕末・維新期の経済的発展の問題を研究した『寄生地主制論――ブルジョア的発展との関連』(川浦康次共著、御茶の水書房、1957年)[10]は、大塚久雄が提起した「局地的市場圏」や「蓄積基盤の移行」などを初めて日本史の分析に取り入れたものとして論議を呼び起こした[11]。マルクス主義歴史学の立場から日本古代史に問題提起を行った『古代専制国家の構造』(御茶の水書房、1958年)[12]では、日本の古代社会を一種の奴隷社会と見なす渡部義通・藤間生大・石母田正・松本新八郎らの通説を批判し、原始共同体と古代奴隷制の間にアジア的生産様式を措定して、日本の律令体制までの社会はアジア的生産様式を基礎とする古代アジア的専制国家と規定すべきであると主張した[13]。その他の著書に「大正期研究会」(1964年-)の共同研究・作業の成果である統計集『日本資本主義再生産構造統計』(丹羽邦男、川浦康次、大島雄一、近藤哲生、藤瀬浩司、芝原拓自、安富邦雄、宮田和明共編、岩波書店、1973年)[14]、名古屋大学「村の歴史を知る会」の主要メンバーの共同研究の成果の一部である『織物業の発展と寄生地主制――明治期における尾西地方の実証的研究』(近藤哲生共編著、御茶の水書房、1985年)[15]などがある。
1960年に澄田正一、彌永貞三とともに一宮市史編さん委員に委嘱された。当初は近世・近代編を担当する予定であったが、近世編は独立して尾藤正英に委嘱されることになり、近代編を担当した[16]。『新編一宮市史 資料編』の11巻から15巻と補遺1巻、3巻、4巻の編集を担当した。『新編一宮市史 本文編(下)近代編』(1977年)の編集を担当し、近藤哲生、宮田和明、井関弘太郎と分担で執筆した。また稲沢市史の編さん事業にも参加し[17]、水野柳太郎、小島廣次とともに『新修稲沢市史 本文編(上・下)』(1990-1991年)の編集を担当した。『新修稲沢市史 資料編』の14巻から17巻(近現代1~4)の編集を担当した。1991年に編さん事業を開始した新修名古屋市史の監修者兼代表編集委員[18]、1994年に編さん事業を開始した愛知県史の編さん委員会専門委員長を務めた[17]。
70年代に名古屋大学で網野善彦、平松義郎、楢崎彰一、伊藤忠士とアーキビスト養成のため「総合資料学研究科」の設置を検討したが、文部省の許可が得られず頓挫した[17][19]。日本学術会議学術情報委員会委員として1980年の文書館法制定を要請する勧告の作成に携わった[20][21]。また「愛知県の歴史資料保存をすすめる会」代表として1979年に「公文書保存について」を県及び県議会に要望するなど[22]、愛知県での文書館設立運動に参加し、県立公文書館構想懇談会(1981年)委員、県立公文書館運営問題検討会議(1982・1983年)委員に任命された(1986年愛知県公文書館開館)[17]。1989年の名古屋市市政資料館の立ち上げにも参加した[23]。
著書[編集]
単著[編集]
- 『古代専制国家の構造』(御茶の水書房、1958年、増補版1962年)*塩沢君夫表記
- 『アジア的生産様式論』(御茶の水書房、1970年)*塩沢君夫表記
- 『史学の周辺――折々の記』(塩澤君夫、1987年)
- 『歴史発展の法則』(創風社、2009年)
共著[編集]
- 『寄生地主制論――ブルジョア的発展との関連』(川浦康次共著、御茶の水書房、1957年、第2版1979年)*塩沢君夫表記
- 『経済史入門』(近藤哲生共著、有斐閣[有斐閣新書]、1979年、新版1989年)*塩沢君夫表記
- 『愛知県の百年――県民100年史23』(斎藤勇、近藤哲生共著、山川出版社、1993年)
編著[編集]
- 『日本資本主義再生産構造統計』(丹羽邦男、川浦康次、大島雄一、近藤哲生、藤瀬浩司、芝原拓自、安富邦雄、宮田和明共編、岩波書店、1973年)*塩沢君夫表記
- 『日本経済史――経済発展法則の検証』(後藤靖共編、有斐閣[有斐閣大学双書]、1977年)*塩沢君夫表記
- 『織物業の発展と寄生地主制――明治期における尾西地方の実証的研究』(近藤哲生共編著、御茶の水書房、1985年)*塩沢君夫表記
- 『近代日本地方制度の研究』(小林賢治著、伴野泰弘共編、伴野泰弘、2008年)
監修[編集]
- 尾張旭市誌編さん委員会編『尾張旭市誌 現代史編』(尾張旭市役所、2011年)
- 尾張旭市誌編さん委員会編『尾張旭市誌 現代史資料編』(尾張旭市役所、2012年)
出典[編集]
- ↑ a b c d e f g 「塩澤君夫教授の退職を惜しんで〔塩澤君夫教授略歴・研究業績目録〕」『名城商学』第41巻第1号、1991年6月
- ↑ a b 塩澤君夫『歴史発展の法則』創風社、2009年
- ↑ 塩沢公夫『古代専制国家の構造』御茶の水書房、1958年
- ↑ 塩澤公夫「巻頭言 : 大学の戦後五十年」『大学と教育』第20巻、1997年5月
- ↑ 古代専制国家の構造 CiNii Research
- ↑ 歴代センター長・教官・教員(PDF)名古屋大学大学院経済学研究科附属国際経済政策研究センター
- ↑ コラム 『愛知県史』の編纂 ―将来の礎(いしずえ)全58巻、愛県大教員も参加 愛県大史WEB
- ↑ 『一宮市博物館年報14 平成25・26年度事業報告』(PDF)一宮市博物館、2014年
- ↑ 塩澤君夫「川浦君と私」『名城商学』第20巻第3・4号、1971年3月
- ↑ 中村哲「<書評と紹介>塩沢君夫・川浦康次共著 : 寄生地主制論」『史林』第41巻第3号、1958年5月
- ↑ 山本弘文「川浦康次著, 「幕藩体制解体期の経済構造」(PDF)」『社会経済史学』第32巻第1号、1966年
- ↑ 吉田晶「<書評>塩沢君夫著 : 古代専制国家の構造」『史林』第42巻第4号、1959年7月
- ↑ 黒田俊雄「塩沢君夫著「古代専制国家の構造」」『ヒストリア』第25号、大阪歴史学会、1959年5月
- ↑ 鍋島力也「塩沢君夫他編, 『日本資本主義再生産構造統計』, 1973年, 岩波書店, B5版, viii+329頁(PDF)」『土地制度史学』第65号、1974年
- ↑ 古庄正「塩沢君夫・近藤哲生編著, 『織物業の発展と寄生地主制』, 御茶の水書房, 1985年, X+531頁(PDF)」『土地制度史学』第110号、1986年
- ↑ 岩野見司「編さん誌抄」『新編一宮市史 本文編 下』一宮市、1977年、923-928頁
- ↑ a b c d 塩澤公夫「「愛知県公文書館」への期待」『愛知県公文書館だより』第3号(PDF)、愛知県公文書館、1999年1月29日
- ↑ 『新修名古屋市史だより』第33号(PDF)、名古屋市市政資料館、2015年3月
- ↑ 1975年ごろの、名古屋大学における総合資料学研究科の設置に関わる概算要求が、どのように審議されたが... レファレンス協同データベース
- ↑ 塩沢公夫「文書館設立のための課題」『歴史科学』第92・93号、大阪歴史科学協議会、1983年6月
- ↑ 日本学術会議編『日本学術会議続十年史――第10期~第12期(1975~1985)』日本学術会議、1985年、208-209頁
- ↑ 長井勉「公文書管理シリーズ 第44弾 県民の文化発展をめざす歴史資料の整備――愛知県公文書館」『IM』2022年1-2号(PDF)、日本文書情報マネジメント協会、2022年
- ↑ 塩澤公夫「歴史資料の保存と公開―名古屋市史刊行完成後の課題―」『新修名古屋市史だより』第28号(PDF)、名古屋市市政資料館、2010年3月