川浦康次

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川浦 康次(かわうら やすじ、1927年2月5日[1] - 1970年11月11日[2][3])は、日本経済史家。

愛知県一宮市出身[4]。問屋の家に育つ[5]愛知県立商業学校を経て[4]、1950年大阪商科大学高等商業部卒業。1953年名古屋大学経済学部経済学科卒業。1958年同大学大学院退学[1]。学部・大学院で塩澤君夫の指導を受け、日本経済史を専攻[4]。1958年名城大学法商学部講師、1959年助教授、1964年教授、1966年同大学大学院教授[1]。1966年「幕藩体制解体期の経済構造」で経済学博士(名古屋大学)[6]。1970年11月11日、持病のため急逝、享年43歳[4]

主に幕末の日本の経済体制を研究した[4]。『寄生地主制論』(塩沢君夫共著、御茶の水書房、1957年)は大塚久雄が提起した「局地的市場圏」や「蓄積基盤の移行」などを初めて日本史の分析に取り入れ、幕末における経済発展の性格や尾西綿織物業の経営形態などをめぐって論議を呼び起こした[7]。『幕藩体制解体期の経済構造』(御茶の水書房、1965年)は尾西地方のマニュファクチュアや地主制に関する論文を集めたもので、林英夫『近世農村工業史の基礎過程――濃尾縞木綿織物史の研究』(青木書店、1960年)や市川孝正渡辺信夫古島敏雄他『封建社会解体期の雇傭労働』(青木書店、1961年)などで提出された前著に対する異論に応えようとしたものである[7]

1960年に近藤哲生、伊藤正之助(岩倉町文化財保護委員長)とともに『新編一宮市史』編さん事業のため一宮市の嘱託(非常勤)に委嘱された。近藤哲生、宮田和明とともに市史編さん委員の塩澤君夫の下で近代班のスタッフとなった[3]。『新編一宮市史』資料編の近代編5冊を担当し、最後の1冊の再校中に死去した[4]

著書[編集]

単著[編集]

  • 『幕藩体制解体期の経済構造』(御茶の水書房、1965年)

共著[編集]

  • 『寄生地主制論――ブルジョア的発展との関連』(塩沢君夫共著、御茶の水書房、1957年、第2版1979年)
  • 『日本資本主義の経済構造――史的分析』(木村隆俊共著、日本評論社、1966年)

編著[編集]

  • 『日本資本主義再生産構造統計』(塩沢君夫、丹羽邦男、大島雄一近藤哲生、藤瀬浩司、芝原拓自、安富邦雄、宮田和明共編、岩波書店、1973年)

出典[編集]

  1. a b c 「故川浦康次教授略歴,主要著作目録」『名城商学』第20巻第3・4号、1971年3月
  2. 塩沢君夫「あとがき」『新編一宮市史 資料編14 近代農業関係経済資料集』一宮市、1971年、1139-1140頁
  3. a b 岩野見司「編さん誌抄」『新編一宮市史 本文編 下』一宮市、1977年、923-928頁
  4. a b c d e f 橋本英三「故川浦康次教授追悼論文集によせて」『名城商学』第20巻第3・4号、1971年3月
  5. 塩澤君夫「川浦君と私」『名城商学』第20巻第3・4号、1971年3月
  6. 幕藩体制解体期の経済構造 CiNii Research
  7. a b 山本弘文「川浦康次著, 「幕藩体制解体期の経済構造」PDF」『社会経済史学』第32巻第1号、1966年