ニホンナシ
ニホンナシ(日本梨、学名:Pyrus pyrifolia Nakai[1]、英語: Japanese pear)は、バラ科ナシ属の植物[2]。
和梨(わなし)とも呼ばれ、日本において単純に「梨(なし)」と呼ぶ場合は、ニホンナシを指すことがほとんどである。
概要[編集]
現在の中華人民共和国(中国)を原産地とする落葉高木樹であり、古い時代に日本に入ってきており、日本各地に野生状態で生育している[2]。野生のものは森林の中で生育しておらず、林縁などで生育している[2]。野生種のものはニホンヤマナシ(日本山梨)と呼ばれる。果実は古くから食用にされている。
日本では沖縄県を除いて栽培されており,栽培適地は非常に広い[1]。古くから偶発実生や枝変わりによる在来品種も日本全国各地に多く存在している[1]。日本では大正時代以降に組織的な交雑育種も開始され、多くの品種が育成されている[1]。
歴史[編集]
7000万年以前に中国の南西部の山地で発生した植物が、6600万年前頃からユーラシア大陸東西に分布を広げて行ったものとされる[3][4]。
中国東方地域へ広まったナシ属植物はチュウゴクナシやニホンナシなどに分化して行き、さらに海を渡って日本列島に伝わったと考えられている[3]。中央アジアを通じてヨーロッパに伝わっていったものはセイヨウナシとなった。
日本では登呂遺跡(静岡市)から炭化したナシの種子が発見されており[4]、弥生時代(紀元前1000年頃 - 250年頃)には果実が食されていたと考えられている[5][4]。また、日本書紀にも栽培の記述が確認できる[4]。
江戸時代には品種も増加した[5]。現在のような甘みが強く果肉のやわらかいニホンナシは、明治時代以降に品種改良されたものである[5]。
日本における育種[編集]
日本におけるニホンナシの育種事業の中心となっていたのは、農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)の果樹茶業研究部門であると言える[1]。農研機構前身の園芸試験場、果樹試験場、果樹研究所の時代から100年以上(2016年時点)に渡ってニホンナシの育種事業を行ってきている[1]。
各都道府県の機関でも産地独自のブランド化を目的とした育種に取り組んでおり,長野県の「南水」、栃木県の「にっこり」、鳥取県の「新甘泉」といった新品種は、県内での栽培面積を増やし、県のオリジナル品種としての普及も進んでいる[1]。
品種の例[編集]
大きく分けると果皮の色で「赤梨」「青梨」とに分けられる。
2015年時点では、登録品種と登録失効の品種を合わせると100種ほどの品種がある[6]。生産される品種は30年から50年程度で移り変わるが[6]、100年を超えて生産され続けている品種もある。
以下に例示する。
赤梨[編集]
和梨の主流は赤梨である[7]。
赤梨の場合、結実して大きくなりはじめた果実は、5月下旬ごろから果実表面のる気孔が果実の肥大化とともに裂けてくる[7]。この亀裂をふさぐようにコルク層が形成される[7]。赤梨は青梨と比べると、コルク層の形成過程が急激であるため、コルクの色である褐色が強くなる[7]。
コルク層が多い果皮は果実の中の水分を閉じ込めつつ、外部との空気の循環を保つ機能がある[7]。コルク層によって、ぶつぶつ、ざらざらとして、一見、粗く見える赤梨の果皮は、温暖多湿な日本の風土に適応した姿であると言える[7]。
その見た目がら、茶褐色でざらざらした赤梨を、リンゴのような青梨と比べて下に置くように主張する風潮もあるが、そのようなことはない[7]。
長十郎 ()[4]- 1893年(明治26年)に大師河原町(現・神奈川県川崎市川崎区出来野)の「当麻辰次郎」のナシ園から他のナシとは違う品種が発見された。当麻辰次郎の家は「長十郎」という屋号で呼ばれていたため、そのナシは「長十郎」と名づけられた。
- 発見当初は注目されていなかったが、1897年(明治30年)に黒星病[注釈 1]が流行し、ナシが全滅の状態となった際に長十郎だけが被害を受けなかったことと、収穫量が高かったことから次第に栽培が広がるようになり、大正時代には日本全国面積の約6割を長十郎が占めるほどにななった。
- 昭和40年代に入ると幸水、新水、豊水といった果実の水気が多くて甘い品種に押されて、栽培量は少なくなった。
豊水 ()[4][8]- 梨の人気品種。豊水と幸水とで、ニホンナシの栽培面積の約7割ほどを占めている(2024年時点)。
- 糖度は12%前後で、ほとんど酸味が無い。
- 果実の重さは300g前後で、幸水と比べるとやや小さめである。全体的に丸く、やや腰高の形をしている。
幸水 ()[8]- 梨の人気品種。幸水と豊水とで、ニホンナシの栽培面積の約7割ほどを占めている(2024年時点)。
- 糖度は12%から13%前後と豊水よりもやや高いが、幸水のほうが酸味が強いため、食味としては豊水のほうが甘く感じられる。
- 豊水と比べると、果実はやや青みがかった色をしている。平たい球形をしており、尻の部分に深い窪みがある。
新高 ()- 1927年に命名された大玉の赤梨。
- 当初、新潟県産の「天の川」と高知県産の「今村秋」を掛け合わせたものだと言われていたが、21世紀になってDNA解析の結果、「天の川」と「長十郎」を掛け合わせたものだと判明した[6]。
青梨[編集]
青梨の場合も、例えば二十世紀は赤梨同様に果実表面にコルク層の形成が行われるが、時期は6月中旬ごろからと少し遅い[7]。青梨は赤梨と比べると、コルク層の形成過程が穏やかであるため、元の果実の色である青緑色を残す[7]。
コルク層の形成が少ない青梨の果皮は、蝋質のクチクラ層が厚く覆うことで、果実の中の水分を保つことになるのだが、クチクラ層は空気の循環をほとんど遮断する[7]。洋梨や中国梨は、青梨が主流であり、和梨の青梨は先祖返りした姿とも言える[7]。また、温暖多湿な日本の風土には合っていないとも言え、二十世紀などは病気に弱い[7]。
その見た目がら、茶褐色でざらざらした赤梨より、リンゴのような青梨のほうが高級品であるかのように主張する風潮もあるが、そのようなことはない[7]。
二十世紀 ()- 1888年に千葉県八柱村(現・松戸市)で発見された品種。鳥取県の果樹産業の基幹となっている。
八雲 ()- 1927年に神奈川県立農事試験場で二十世紀梨と赤穂を交配して育種された。
菊水 ()- 1927年に神奈川県で二十世紀梨と太白梨とを交配して育種された。日持ちが悪いため普及しなかったが、幸水、豊水、南水といった品種の親となった。
日本での生産[編集]
都道府県別栽培面積[編集]
日本における都道府県別の栽培面積の順位(2012年度時点)[6]。
以上の5県で日本全体の栽培面積の56%を占める[6]。
品種別栽培面積[編集]
日本における品種別の栽培面積の順位(2015年時点)[6]。
梨の日[編集]
7月4日は「7=な、4=し」にかけて「梨の日」に制定されている[7]。
鳥取県東郷町(現・湯梨浜町)の「東郷町二十世紀梨を大切にする町づくり委員会」が、1904年に二十世紀の苗木が東郷町に移入されて100年を記念した2004年に制定された記念日である[7]。
制定されてからも知名度は低かったが、ふなっしーが「7月4日は梨の記念日で自分の誕生日」と宣伝しまくったことで、認知度を高めた[7]。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ↑ 果実や葉に症状が出る菌の病気。
出典[編集]
- ↑ a b c d e f g 西尾聡悟、寺上伸吾、竹内由季恵、松本辰也、髙田教臣「ニホンナシの交雑育種における重要形質に関連したDNAマーカーの利用技術(PDF)」 、『園学研』第21巻第2号、2022年、 137–147、 、2025年12月27日確認。
- ↑ a b c 岡山理科大学 生物地球学部 生物地球学科 波田研. “ナシ Pyrus pyrifolia var. culta”. 岡山理科大学. 2025年12月27日確認。
- ↑ a b “日本の梨のルーツは中国南西部”. 鳥取県商工労働部兼 農林水産部市場開拓局. 2025年12月27日確認。
- ↑ a b c d e f “ナシの話”. 川崎市 (2017年5月2日). 2025年12月27日確認。
- ↑ a b c “ナシ”. JAあいち中央. 2025年12月27日確認。
- ↑ a b c d e f g 高知農業改良普及所 (2015年7月15日). “高知県の特産果樹 「新高」の話”. 中央西農業振興センター. 2025年12月31日確認。
- ↑ a b c d e f g h i j k l m n o p ホシナコウヤ (2018年7月4日). “7月4日「梨の日」。「赤ナシ」にこそ和梨特有の特徴と美味しさの秘密があった!”. ウェザーニュース. 2025年12月30日確認。
- ↑ a b “豊水とはどんな梨?幸水との違いや特徴・味わいを解説”. macaro-ni (2024年6月13日). 2025年12月27日確認。