えちぜん鉄道
えちぜん鉄道(えちぜんてつどう)は、福井県で鉄道を営むする第三セクター鉄道事業者である。所有路線は勝山永平寺線と三国芦原線の2路線。略称はえち鉄。
概要[編集]
元々は京都府京都市に拠点を置く京福電鉄の福井県内の路線。京都との繋がりは戦前の電力(京都電燈)のみで新線構想は無かった。
2015年から福井駅のえちぜん鉄道乗場を既にあった新幹線福井駅の高架に移転し自社の高架が完了する2018年まで借用し、それまで、えちぜん鉄道用ホームとして使用していた。併せて福井口 - えち鉄福井間を高架化した。福井県で初めて新幹線の線路を走ったのは、新幹線の列車ではなくえちぜん鉄道の列車ということになる。この関連で複線区間だった福井 - 福井口 - 越前開発間は2018年6月までに単線化されている[注 1]。
発行株式のうち、沿線5市町が全体の69.8%を保有、残りの30.2%を一般株主が保有している、公営色の強い第三セクター鉄道である。
前史[編集]
1918年に福井県奥越の城下町大野町の大野三番(後・京福大野)駅まで開通。1932年までに後述の3路線の他、海岸線(三国 - 東尋坊口)、永平寺北線(東古市 - 本丸岡 - 金津)、丸岡線(西長田 - 丸岡 - 本丸岡)の路線を開業させた。国鉄越美線が越美南線の北濃駅(1934年開設)からなかなか延伸しない中、国鉄は戦前に福井県内の京都電燈の路線網に食指を延ばさず[注 2]、戦時中に国鉄が休止させた三国 - 三国港間を事実上引き取った。
戦後、1969年(昭和44年)に永平寺北線および丸岡線が廃止された。一方、国鉄が対抗路線の越美北線を1960年に開通させて、越前本線は苦境に陥り、1974年(昭和49年)8月に越前本線勝山以南を廃止した。
会社発足の経緯[編集]
えちぜん鉄道発足前は、越前本線(今の勝山永平寺線)、三国芦原線、永平寺線(後述)を京福電鉄が運営していた。
ところが、過去に度重なる衝突事故を起こした上、2000年に東古市駅(現・永平寺口駅)構内で衝突事故を起こすまで全く改善が無かったため、国土交通省から運行停止命令が下されて、代行バスによる運行が長く続いた。
しかし、鉄道沿線の道路状況が悪く、最高時速60キロや信号渋滞もあってか、鉄道よりバスの所要時間がかかってしまった。豪雪地の福井県では、冬季にバスが大幅に遅れやすく、授業に間に合わない高校生が続出。親の送迎に切り替えるものが増え、いっそう渋滞を深刻化させ、鉄道の存在が見直された。一方、京福電鉄の京都本社は福井県からの鉄道事業撤退を考えていて、事業継続の意欲は無かった。
そこで、路線を引き継ぐ独自の鉄道を立ち上げる機運が高まって、この問題を解決するために、福井県などが出資する第三セクター鉄道のえちぜん鉄道が2002年(平成14年)に設立され、越前本線と三国芦原線の2路線を京福電鉄から引き受けて2003年(平成15年)7月に運行を再開した。
これに伴い、福井県下の京福系列の旅客輸送業は京福バス、京福タクシー、ケイカン交通、福井バスとなった一方、譲渡前の京福電鉄に存在した鉄道路線の永平寺線は、永平寺境内が永平寺駅から徒歩5分かかることや、永平寺山門まで乗り入れる並行路線バスが便利で、空白時間帯の代行利用が譲渡前も奨励されたこともあり、旅客数が少なくバス転換で充分とされ、福井県での京福の鉄道事業撤退と共に2002年10月に廃止となった。
鉄道路線[編集]
京福時代は京福大野まで路線があった。
- 三国芦原線(えち鉄福井 - 三国港)
田原町から途中の鷲塚針原まで福井鉄道と相互乗り入れを行っており、中角駅以外の駅に低床ホームを設けている。
京福時代の廃止路線[編集]
脚注[編集]
- 注
- 出典
外部リンク[編集]
- えちぜん鉄道株式会社 - 公式サイト。
- えちぜん鉄道株式会社 - Facebook
- えちぜん鉄道のつぶやき(@echizenrail) - 𝕏(旧:Twitter)
- てつ子の部屋[福井 / えちぜん鉄道 / アテンダント](@echitetsu_attendant) - Instagram