九二式艦上攻撃機
九二式艦上攻撃機(きゅうにしきかんじょうこうげきき)は、日本の大日本帝国海軍が1930年代前半に採用した艦上攻撃機である。広海軍工廠で開発・製造された。略符号はB3Y。
概要[編集]
ロンドン海軍軍縮条約締結後の厳しい財政状況下で、海軍は新型艦上攻撃機の開発を計画した。当時運用されていた一三式艦上攻撃機の後継機として、広海軍工廠に開発が指示されたのが九二式艦上攻撃機である。
開発は、経済性を重視し、既存の技術や部品を最大限に活用する方針で進められた。機体設計は木金混合骨格に羽布張りという当時の標準的な構造を踏襲し、エンジンには一三式艦上攻撃機でも実績のあった水冷式「ヒロ式六〇〇馬力発動機」を搭載した。
試作機は1932年(昭和7年)に完成し、各種試験を経て1933年(昭和8年)に「九二式艦上攻撃機」として制式採用された。その特徴は、低速ながら安定した飛行性能と、旧式化しつつあった一三式艦上攻撃機に比べて向上した雷撃能力にあった。しかし、同時に運用が開始された空母「龍驤」や「鳳翔」といった小型空母での運用を考慮したため、主翼は非折りたたみ式であり、格納庫での運用に制約があった。
量産は広海軍工廠で行われ、約200機が生産されたとされる。主に空母部隊に配備され、日中戦争初期の段階まで運用されたが、1937年(昭和12年)頃にはより高性能な九六式艦上攻撃機に機種転換が進み、第一線から退いた。
特徴[編集]
九二式艦上攻撃機は、以下の特徴を持っていた。
- 経済的な設計:既存の技術や部品の流用により、開発コストと製造コストを抑制した。
- 安定した飛行性能:低速安定性に優れ、着艦時の安全性は比較的高かった。
- 雷撃能力:魚雷1本の搭載が可能で、当時の艦上攻撃機としては標準的な雷撃能力を有していた。
- 固定脚:引き込み脚ではなく固定脚を採用しており、空気抵抗は大きかったが構造が単純で整備性に優れていた。
- 非折りたたみ式主翼:主翼は折りたたみ機構を持たず、格納庫での占有面積が大きかった。これは小型空母での運用を考慮したためだが、同時に運用上の制約にもなった。
主要諸元[編集]
- 乗員: 3名
- 全長: 10.00 m
- 全幅: 15.00 m
- 全高: 3.50 m
- 主翼面積: 50.0 m²
- 空虚重量: 2,000 kg
- 全備重量: 3,200 kg
- 動力: ヒロ式六〇〇馬力発動機(水冷W型12気筒)1基
- 出力: 600 hp
- 最大速度: 210 km/h
- 航続距離: 1,000 km
- 実用上昇限度: 4,000 m
- 武装
- 7.7 mm固定機関銃 ×1(機首)
- 7.7 mm旋回機関銃 ×1(後部座席)
- 800 kg魚雷 ×1、または250 kg爆弾 ×2
運用史[編集]
九二式艦上攻撃機は、主に日本海軍の航空母艦に搭載され、訓練任務や沿岸警備任務に従事した。日中戦争勃発後には、中国大陸での作戦にも投入されたが、その性能はすでに旧式化しており、本格的な戦闘にはあまり参加しなかった。
1937年(昭和12年)以降、九六式艦上攻撃機の配備が進むと、九二式艦上攻撃機は順次退役していった。一部は練習機や連絡機として終戦まで使用された機体もあったとされる。
豆知識[編集]
- 九二式艦上攻撃機は、広海軍工廠が航空機の開発・製造を行った最後の機種の一つだ。広海軍工廠はその後、航空機エンジンの開発・製造に注力していくことになる。
- 本機は、後の九六式艦上攻撃機や九七式艦上攻撃機といった、日本海軍を代表する艦上攻撃機の開発に繋がる過渡期の機体として重要な役割を果たした。
関連項目[編集]
参考書籍[編集]
- 碇義朗『海軍航空隊全史』光人社、2004年。ISBN 4-7698-1175-6。
- 潮書房光人新社『丸』編集部編『日本海軍航空隊 写真集』潮書房光人新社、2010年。ISBN 978-4-7698-1463-2。