一三式艦上攻撃機

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一三式艦上攻撃機(いちさんしきかんじょうこうげきき)は、大日本帝国海軍1920年代に運用した艦上攻撃機である。三菱内燃機製造(現在の三菱重工業)が開発し、同社によって製造された。九六式艦上攻撃機や九七式艦上攻撃機といった後継機の登場まで、日本海軍の主力艦上攻撃機として活躍した。

開発と設計[編集]

第一次世界大戦後、日本海軍は航空戦力の拡充を急務としており、航空母艦の整備とそれに搭載する艦載機の開発・調達を進めていた。その一環として、イギリスの航空技術を導入するため、1921年ハーバート・スミスを主任設計者とする技術者チームを三菱内燃機製造に招いた。

スミス率いるチームは、当時世界的に実績のあったフェアリー・アロースミスソッピース・スナッパーといった雷撃機の設計思想を参考に、日本海軍の要求に基づいた新型艦上攻撃機の開発に着手した。当初は「三菱艦上攻撃機」として開発が進められ、1922年1月に最初の試作機が完成した。

本機は、頑丈な複葉構造と、当時としては高出力であったロールス・ロイス・コンドルまたは三菱がライセンス生産したイスパノ・スイザ系の水冷エンジンを搭載していた。このエンジンは、後の日本海軍機にも大きな影響を与えた。主翼は木製骨組に羽布張り、胴体は鋼管骨組に羽布張りという当時の標準的な構造であった。着艦時の衝撃を吸収するため、頑丈な主脚と尾橇を備えていた。武装は、胴体下面に魚雷1本または各種爆弾を搭載可能で、防御武装として後部座席に旋回機関銃1挺を備えていた。

生産と運用[編集]

試作機の試験飛行は良好な成績を収め、1923年に「一三式艦上攻撃機」として制式採用された。採用後、三菱内燃機製造において本格的な量産が開始され、最終的に約200機が生産された。

一三式艦上攻撃機は、日本海軍初の本格的な艦上攻撃機として、黎明期の航空母艦に搭載され、その運用経験を積む上で重要な役割を果たした。初期の搭載艦には、鳳翔赤城加賀などがある。これらの空母において、本機は発艦着艦訓練、編隊飛行、雷撃訓練、爆撃訓練などに従事し、日本海軍航空隊の錬度向上に貢献した。

また、本機は日中間の軍事衝突、特に第一次上海事変などにおいて実戦投入された記録も残っている。しかし、この時期の航空戦は限定的であり、その具体的な戦果については不明な点が多い。

1930年代に入ると、航空技術の進歩は著しく、一三式艦上攻撃機は旧式化が進行した。より高性能な一四式艦上攻撃機八九式艦上攻撃機、そして九六式艦上攻撃機九七式艦上攻撃機といった新型機が開発・配備されるにつれて、第一線部隊からは退き、主に練習機や連絡機として使用されるようになった。最終的には1937年頃までに全機が退役した。

諸元[編集]

  • 乗員: 2名(操縦員、偵察員兼射撃手)
  • 全長: 9.77 m
  • 全幅: 14.78 m
  • 全高: 3.50 m
  • 主翼面積: 59.9 m²
  • 空虚重量: 1,800 kg
  • 全備重量: 2,900 kg
  • 動力: ロールス・ロイス・コンドル 水冷V型12気筒エンジン × 1
    • 出力: 650 hp
  • 最大速度: 209 km/h
  • 巡航速度: 140 km/h
  • 航続距離: 7時間
  • 実用上昇限度: 5,000 m
  • 武装:
    • 機関銃: 後部座席にルイス機関銃7.7 mm × 1
    • 爆弾: 800 kg魚雷 × 1 または 250 kg爆弾 × 2 または 50 kg爆弾 × 4

豆知識[編集]

  • 一三式艦上攻撃機は、日本の航空機開発において、外国の技術導入がいかに重要であったかを示す好例である。ハーバート・スミスとそのチームがもたらした技術は、その後の日本の航空産業の発展に大きく寄与した。
  • 本機は、後の三菱航空機が開発する多くの傑作機、例えば九六式陸上攻撃機零式艦上戦闘機などの開発に繋がる技術的基盤を築いたと言える。

関連項目[編集]

参考書籍[編集]

  • 碇義朗『日本海軍機開発物語』光人社NF文庫、2004年。ISBN 978-4769824339
  • 雑誌『丸』編集部編『日本海軍航空史』光人社NF文庫、2018年。ISBN 978-4769830507
  • 渡辺洋二『帝国陸海軍戦闘機カタログ』文春文庫、2000年。ISBN 978-4167249071