赤城 (空母)

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赤城(あかぎ)は、大日本帝国海軍航空母艦。元は天城型巡洋戦艦の2番艦として計画されたが、ワシントン海軍軍縮条約の結果、航空母艦へと改装された。

概要[編集]

赤城は加賀型戦艦の2番艦として計画された加賀と共に、日本海軍初の本格的航空母艦として建造された。当初は巡洋戦艦として起工されたが、ワシントン海軍軍縮条約により主力艦の保有制限が課されたため、未完成の巡洋戦艦からの改装が決定された。

改装後は三段式の飛行甲板を持つ特徴的な外観となった。これは、発艦効率を高めることを目的としたものであったが、運用実績から効率が悪いことが判明し、後に一段式の全通甲板に改装された。

日中戦争において実戦参加し、太平洋戦争開戦時には第一航空艦隊南雲機動部隊)の旗艦を務めた。真珠湾攻撃セイロン沖海戦など、初期の主要な作戦に参加した。

しかし、1942年6月のミッドウェー海戦において、アメリカ海軍急降下爆撃機の攻撃を受け、被弾炎上。沈没を避けるため、日本海軍自身の手により雷撃処分された。これにより、日本海軍は主力空母を3隻(他に加賀蒼龍飛龍)失うこととなり、太平洋戦争の戦局転換点の一つとなった。

艦歴[編集]

豆知識[編集]

赤城の名は、群馬県赤城山に由来する。日本海軍の巡洋戦艦、航空母艦には山の名前がつけられることが多かった。赤城は、ミッドウェー海戦で沈んだ唯一の空母であった。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 歴史群像編集部『決定版 日本の航空母艦』学習研究社、2006年。
  • 淵田美津雄、奥宮正武『ミッドウェー』学習研究社、1999年。