三遊亭小圓遊
三遊亭 小圓遊(さんゆうてい こえんゆう)は落語家の名跡。現在は空き名跡。
- 三遊亭小圓遊 (初代) - 本名:鳥羽 長助。1904年(明治37年)8月29日に死去。
- 三遊亭小圓遊 (二代目) - 後:二代目三遊亭圓遊
- 三遊亭小圓遊 (三代目) - 本名:斎藤 文太郎。1926年(大正15年)2月16日に死去。
- 三遊亭小圓遊 (四代目) - 本稿で記述。
四代目 三遊亭 小圓遊(さんゆうてい こえんゆう、1937年8月3日 - 1980年10月5日)は落語芸術協会に所属していた落語家。本名:関根 尚雄(せきね ひさお)。
概要[編集]
笑点大喜利メンバーの一人であり、大喜利ではキザなキャラクターで人気を博し桂歌丸と罵倒合戦を繰り広げた。一方、高座では古典落語を得意とし『へっつい長屋』『浮世床』『蛇含草』などを持ちネタとしていた。
来歴[編集]
中学2年生の時に前橋から東京に引っ越す。東京都立文京高等学校へ進学するも中退し、四代目三遊亭圓遊に弟子入り。「金遊」の前座名を貰い、1958年(昭和33年)に二ツ目へと昇進する。高校の在学中から落語家の素質を見せていたとされる。
1966年(昭和41年)、日本テレビ系「笑点」の大喜利メンバーに加入。加入2年後の1968年(昭和43年)に真打昇進と四代目三遊亭小圓遊襲名を果たす。真打昇進の翌年4月、司会の立川談志との対立から一時降板するも、司会者が前田武彦に交代したことで7ヶ月後の11月に復帰。桂歌丸との罵倒合戦や「ボクちゃん」で始まるキザなキャラ付けで人気を博した。なお歌丸とは実際には不仲ではなく、落語の稽古をつけてもらうなど親交があった。
だが笑点におけるキザなキャラクターとは反対に高座では古典落語を得意とする噺家で、そのギャップに苦しめられていた。様々な工夫を試みるもうまくいかず次第に酒浸りになっていき、酷い時には酒の匂いを漂わせながら呂律も回らない様子で収録に入り、編集や司会者のフォローで何とか誤魔化すことも増えていった。
番組プロデューサーは「酒を取るか笑点を取るか」と迫り、本人が「酒を取る」と返したため降板を命じようとした矢先に急逝した。
1980年(昭和55年)10月4日、笑点メンバーの初代林家木久蔵と共に山形県村山市での演芸会に出演することになった小圓遊だが、開演前から二度も吐血。なんとか高座に上がるもマクラを語っている際に体調が悪化して高座を降り、楽屋に戻った直後トイレで再び吐血して意識不明になり、病院へと救急搬送される。搬送後も夜の部のことを気にして関係者に「着物を着せてくれ」「点滴を受ければ大丈夫」と漏らすが間もなく昏睡状態に陥る。翌日には東京から家族が駆けつけて回復を祈っていたが、食道静脈瘤破裂により43歳で死去した。最期の瞬間には家族の他、木久蔵も立ち会っている。
死去から2週間後には笑点番組内で追悼大喜利が行われ、小圓遊の席には座布団と着用していた水色の色紋付が置かれた。
師匠の圓遊は愛弟子の早逝の悲しみのあまり高座から遠ざかり、1984年(昭和59年)1月9日に死去した。立川談志は著書の中で小圓遊と同じく酒が原因で早逝した二代目春風亭梅橋の名前を挙げ、「嫌がられようが、うるさがられようが、親切に最期までそばに居てやれば良かった」と後悔の念を綴っている。