ローリング・ストーンズ

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ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)は、イギリスロックバンド

略歴[編集]

1950年代初頭に知り合ったキース・リチャーズとミック・ジャガーは双方の一家が引っ越すまでダートフォードのウェントワース・プライマリースクールでの級友であった。

1960年にリチャーズとジャガーがダートフォード駅で再会し、ジャガーが持っていたチャック・ベリーマディ・ウォーターズのレコードで友情が復活した2人は、ディック・テイラーと共に「リトル・ボーイ・ブルー・アンド・ザ・ブルー・ボーイズ」を結成した。3人はロンドン西部のクラブなどで演奏を行っていたブライアン・ジョーンズのスライドギターを目の当たりにして衝撃を受ける。

1962年7月12日に「ザ・ローリン・ストーンズ」として最初のギグを行った。ジャガー、リチャーズ、ジョーンズ、ピアノにスチュアート、ベースにテイラー、ドラマーはミック・エイヴォリーであった。同年12月にビル・ワイマンが加入し、1963年1月にチャーリー・ワッツが加入したことでバンドのリズム体が確定した。

1963年5月にスチュワートはオールダムの構想に合わず、メンバーから除外されてロードマネージャーに転向した。

1963年6月7日、デビューシングルとしてチャック・ベリーのカバー「カム・オン」をリリース。チャートイン後、ロンドンの外で演奏する機会を得たバンドは、7月13日ミドルズブラのアウトルック・クラブでホリーズと共演することとなる。後半にオールダムとイーストンは、ボ・ディドリーリトル・リチャードエヴァリー・ブラザースと共演する初の全英ツアーを計画した。この1963年秋のツアーは経験の少ないバンドにとってステージの「トレーニンググラウンド」となった。

1stアルバム『ザ・ローリング・ストーンズ』しかし、同アルバムはカバー曲ばかりでジャガー・リチャーズのオリジナルは「テル・ミー」のみであった。

1964年[6月]]に初の全米ツアーを開催。同年8月にはオランダスヘフェニンゲンで公演を行うが、観客が乱闘を始めたため約15分で中止となった。

2ndアルバム『ザ・ローリング・ストーンズ No.2』は1965年1月に発売されチャート1位。この頃には、英国国内でビートルズに次ぐ人気を獲得するまでになった。

1966年4月にリリースされた『アフターマス』(イギリス1位、アメリカ2位)は、ストーンズが全曲を自作した初のアルバムであった。

1969年、ブライアン・ジョーンズが脱退・死去し(バンドとトラブルを抱えていた)、その後ミック・テイラーが加入した。1976年には、ミック・テイラーが退いた後、ロン・ウッドが正式加入。

1972年開催のアメリカ・ツアー「The Rolling Stones American Tour 1972」は伝説化している。

2002年、結成40周年を記念した2枚組のベスト・アルバム『フォーティ・リックス』(イギリス2位、アメリカ2位)をリリースした。

2021年、チャーリー・ワッツが亡くなった後も、バンドは活動を継続している。

2023年10月20日、アルバム『ハックニー・ダイアモンズ』をリリースした。

メンバー[編集]

現在メンバー[編集]

元メンバー[編集]

  • ブライアン・ジョーンズ(リズムギター、リードギター、ハーモニカ、キーボード、シタール、パーカッション、バックボーカル)1962年 - 1969年:1969年死去
  • イアン・スチュワート(オルガン、ピアノ、パーカッション)1962年 - 1963年:契約ミュージシャン:1964年 - 1985年:1985年死去
  • ディック・テイラー(ベース)1962年
  • リッキー・フェンソン(ベース)1962年 - 1963年
  • コリン・ゴールディング(ベース)1962年 - 1963年
  • トニー・チャップマン(ドラムス)1962年 - 1963年
  • カルロ・リトル(ドラムス)1962年 - 1963年:2005年死去
  • ビル・ワイマン(ベース、ピアノ、バックボーカル、リードボーカル)1962年 - 1993年:ゲスト 2012年
  • チャーリー・ワッツ(ドラムス、パーカッション、バックボーカル)1963年 - 2021年:2021年死去
  • ミック・テイラー(リードギター、ベース、バックボーカル)1969年 - 1974年:ゲスト 1981年、2012年-2014年

ディスコグラフィ[編集]

スタジオ・アルバム[編集]

外部リンク[編集]