リンチンチン
リンチンチン、リンティンティン(英語: Rin Tin Tin、英語: Rin-Tin-Tin、1918年10月10日 - 1932年8月10日)は、雄のジャーマン・シェパード犬。ハリウッド映画界隈では国際的なスター犬である。
概要[編集]
数々の映画や自身の名を関したテレビドラマシリーズに出演し、人気を博した。没した後にも名跡として様々な犬が「リンチンチン」の名を継いでいる。
ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームには3頭の犬の足跡が残されているが、ストロングハート、ラッシー、そして本項のリンチンチンである。1929年に第1回アカデミー主演男優賞にノミネートされていたが、運営側が「受賞者は人間の俳優に限る」と方針を改め、再投票を行ったため、ノミネートされた事実を含めて闇に葬られている(という伝説がある。実際の受賞はエミール・ヤニングス。)[1]。
2007年には映画『Finding Rin Tin Tin』が製作されている。
経歴[編集]
第一次世界大戦中、サン・ミエルの戦いの後の1918年9月15日にアメリカ陸軍航空隊第135航空飛行隊はフランスのフリレイ村に飛行隊が使用可能な飛行場があるかどうかを確認するため、リー・ダンカン伍長を派遣した。ダンカンはドイツ帝国陸軍に軍用犬を供給していた犬舎が爆撃で酷く損傷しているのを見つける。犬舎には生後1週間に満たないような、まだ目の開かない仔犬5匹に授乳中の飢えた母犬がいた。ダンカンはその犬たちを部隊に連れ帰ると、母犬は部隊長に、3匹の仔犬たちを他の隊員に渡し、男女2匹の仔犬を「幸運の象徴」として自身で引き取った。当時の欧州に派兵されたアメリカ軍兵の間では、1913年にイラストレーターのフランシスク・プールボが考案した男女ペアの毛糸製人形「ネネットとランタンタン(フランス語: Nénette et Rintintin)」が流行しており、これを元に雌を「ネネット」、雄を「リンチンチン」と名付けた。
1919年7月、ダンカンは犬たち連れてアメリカに帰国する(なお、正規の手続きは踏んでおらず、犬は密輸状態)。ダンカンはニューヨーク州ロングアイランドで再入国手続きを行った後、犬たちをヘムステッドで警察犬の訓欄を行っていたブリーダーのレオ・ワナー夫人に預けた。この時、ナネットが肺炎を患っていることを診断される。ダンカンと犬たちはカリフォルニア州ロサンゼルスへ列車で向かったが、その道中でナネットは死亡することになった。ワナー夫人から譲られた雌のジャーマン・シェパートにダンカンは「ナネット2」と名付けた。
ダンカンは、リンチンチン、ナネット2に様々な芸を仕込み、2匹の交配で生まれた仔犬たちにも価値が出ると考えるようになった。ロサンゼルスを拠点とするカリフォルニア・シェパード・ドッグ・クラブが1922年に創設された際には、ダンカンも創設メンバーの1人となっている。クラブ主催の第1回のドッグショーにはリンチンチンも出場し、俊敏性などを見せたが同時に攻撃的な性格も明らかになった。その帰り道、新聞配送のトラックから投げ落とされた新聞の束がリンチンチンの脚に落ち、リンチンチンは骨折してしまう。
骨折が癒えた10か月後、リンチンチンはロサンゼルスで開催されたジャーマン・シェパードドッグのショーに出場し、ジャンプ競技で優勝する。その模様は。スローモーションカメラを開発したばかりのチャーリー・ジョーンズ(ダンカンの知人)に撮影された。当時、1922年公開の映画『The Silent Cal』でデビューしていたジャーマン・シェパードドッグの俳優犬ストロングハートの成功は知られており、ダンカンはリンチンチンが撮影される様子を見て、リンチンチンを第二のストロングハートにすることを思いついた。
ダンカンはハリウッドのポヴァティ・ロウへリンチンチンを連れて行き、映画出演の機会を探した。ウォーレス・ビアリー主演の『The Man from Hell's River』(1922年公開)で狼の代役として初出演を果たす。クレジット表記は「Rin Tan」であった。ダンカンの指示通りに動くリンチンチンは映画製作側としても扱いやすく、以降、代役としてたびたび映画に出演するようになった。1922年公開の『My Dad』では家犬リンチンチン役として出演し、「Rin Tin Tin – Played by himself」とクレジット表記された。
1923年の映画『Where the North Begins』では女優のClaire Adamsと共に主演を果たし、大ヒットとなる。この映画は「ワーナーブラザーズの破産を救った」と呼ばれるようになる。その後、リンチンチンは24回の映画主演を果たし、いずれの映画も大ヒットになり、ワーナーブラザーズは大きな利益を得ることになった。このことから映画スタジオ関係者からはリンチンチンを「住宅ローンの担い手」と呼ぶ声もあった。映画プロデューサーダリル・F・ザナックはリンチンチン主演映画の脚本(『Tracked by the Police』など)の成功によってプロデューサーへの昇進を得ている。第98代ニューヨーク市長ジミー・ウォーカーから「市の鍵」がリンチンチンに授与されている。
リンチンチンは映画出演だけではなく、スポンサー契約の締結を行い、ドッグフードメーカーのケン・エル・レーション、ケン・エル・ビスキット、パップ・イー・クランブルズなどの広告にも登場するようになった。ワーナーブラザーズには多くのファンレターが届くようになり、リンチンチンの足跡と肖像画にダンカンが書いたメッセージを入れたものがワーナーブラザーズから返送された。
当時は無声映画であり、タイトルの言語を変えるだけで今より簡単に各国に適応できたという理由もあり、リンチンチンの映画は世界的にも大ヒットとなっていき、数多くの模倣作品を生んでいった。
1932年8月10日、リンチンチンはロサンゼルスのダンカンの自宅で亡くなった。全米の新聞がリンチンチンの訃報を掲載し、雑誌記事が書かれ、映画鑑賞者向けに特別番組『ムービートーン・ニュース』も製作された。テレビ放送では、通常の番組を中断してリンチンチン死亡のニュース速報が報道され、死亡翌日にはリンチンチンに関する1時間の番組が放送された。
1960年2月8日、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの1627ヴァイン・ストリートにリンチンチンの名の「星」が設置された。
なお、リンチンチンの死亡については後に「(リンチンチン・ジュニアが出演していた)映画『Pride of the Legion』の撮影現場で亡くなった」、「(近所に住んでいた)女優ジーン・ハーロウの腕の中で亡くなった」など、さまざまな形で捏造されることになる。
出演作[編集]
時に記載の無い作品では「リンチンチン役」で「Himself」とクレジット表記されている。
- 1922年
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- The Man from Hell's River
- My Dad
- 1923年
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- Where the North Begins - The Wolf Dog役
- Shadows of the North King - (フィルムは現存せず)
- 1924年
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- Find Your Man - Buddy役
- Hello, 'Frisco - (フィルムは現存せず)
- The Lighthouse by the Sea
- 1925年
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- Tracked in the Snow Country
- Below the Line - The Slasher役
- The Clash of the Wolves - Lobo役
- 1926年
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- The Night Cry
- A Hero of the Big Snows
- While London Sleeps - Rint役(フィルムは現存せず)
- 1927年
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- Hills of Kentucky - The Grey Ghost役
- Tracked by the Police - Rinty役
- Jaws of Steel - Rinty役
- A Dog of the Regiment - Rinty役(フィルムは現存せず)
- 1928年
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- A Race for Life - Rinty役
- Rinty of the Desert - Rinty役(フィルムは現存せず)
- Land of the Silver Fox - Rinty役(フィルムの一部のみ現存)
- The Million Dollar Collar - Rinty役(フィルムは現存せず)
- 1929年
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- Frozen River - Lobo役(フィルムは現存せず)
- The Show of Shows
- Tiger Rose - Scotty役(フィルムの一部のみ現存)
- 1930年
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- The Lone Defender - Rinty役(全12章の連続活劇)
- On the Border - Rinty役
- The Man Hunter - Rinty役(フィルムは現存せず)
- Rough Waters - Rinty役(フィルムは現存せず)
- 1931年
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- The Lightning Warrior - Rinty役(全12章の連続活劇)
脚注[編集]
- ↑ Susan Orlean (2011年8月22日). “The Dog Star” (英語). THE NEW YORKER 2026年6月8日閲覧。
外部リンク[編集]
- Rin Tin Tin - 英語版Wikipedia