マンガッタンライナー
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マンガッタンライナーとは、仙石東北ラインで運転されているHB-E210系のラッピングトレイン。
- 登場時は仙石線にて運転される205系3100番台の2編成のことを指していたが、後にキハ48系やHB-E210系でも運転を開始し、2025年12月8日以降は後述の理由によりHB-E210系の2編成のことを指すようになった。
概要[編集]
沿革[編集]
- 2003年3月22日に205系M8編成がマンガッタンライナーⅠとして登場[1]。
- その後、2008年9月13日にはM2編成がマンガッタンライナーⅡとして登場[2]。
- 2011年の東日本大震災で仙石線が分断されたときは、陸前小野駅~石巻駅の区間は石巻線にて使用されていたキハ48系がラッピングされる形で使われた[3]。
- 仙石東北ライン開通から7年後の2022年には、HB-E210系のうちの2編成がラッピングをされている[4]。
運用[編集]
- 基本平日・休日関係なく営業列車として走っているが[5]、仙石線の場合12月7日まで毎週日曜日のあおば通駅10:48発石巻行に充当されていた[6]。2025年3月23日にはマンガッタンライナーⅠ仕様のM8編成が、12月7日には兄貴分のM2編成も引退した。また、定期列車のダイヤを縫うようにイベント・団体列車に充当されることもあった。
- 仙石東北ラインは仙石線のマンガッタンライナーとは違い、特定の日に充当されることはないが、仙石東北ラインの場合、基本2編成が連結して運用につくため[7]、稀にマンガッタンライナー同士(先述した風編成・夢編成)で連結・運用につくことがある。
その他[編集]
205系[編集]
- 種車は山手線で活躍した0番台だが、M2編成はヤテ17編成とヤテ19編成[8]から、M8編成はヤテ25編成[9]から改造及び改番が行われている。
- M2編成は運用開始当初、M3編成~M5編成と全く同じカラーリング(以下2WAYカラー)であったが、先述したとおり2008年以降はラッピングされた姿になったため、2WAYカラーよりもラッピングされた期間が長い状態となっている[10]。
- 2010年頃に、詳細は不明ながらそれぞれの仙台方先頭車(クハ204形)を差し替えて運転されたことがある。
- Ⅰ・Ⅱ共にNゲージとして商品化されているが、最初に商品化されたのはⅡの方。Ⅰの方は引退から5ヶ月後の2025年8月に鉄道模型コンテスト2025 全国大会の開催を記念して、KATOより販売が開始された[11]。当初は上記の大会の開催期間である8月2日~4日の3日間までで、なおかつ開催場所の新宿住友ビル 三角広場にて数量限定で販売(8月3日には石ノ森萬画館のグッズショップ墨汁一滴でも数量限定で販売)されたが、後に全国で一般的に販売されるようになった。
HB-E210系[編集]
- ラッピングされている編成がトプナンとセカナンであり、どちらもまだラッピング期間よりも通常カラーでの運用期間の方が長い。
- 運用開始日はそれぞれ2022年1月27日と2022年1月19日であり、「夢」編成の方が先にデビューを果たしている。
今後[編集]
- マンガッタンライナーⅡが12月7日に引退となったことで、後継車両であるE131系800番台がマンガッタンライナーとしてラッピングされない限り12月8日以降は仙石線あおば通 - 高城町間にてマンガッタンライナー仕様の車両の姿を見ることは一時的になくなった。
- 205系から始まったマンガッタンライナーは、仙石東北ラインの主力車両であるHB-E210系にもラッピングが施された(しかも2編成)ことから、2026年以降仙石線の主力車両を担うE131系800番台においても(いつになるかは未定だが)ラッピング工事が施行されるのかもしれない。
憶測はここまで
脚注[編集]
- ↑ 20年以上仙石線内を走ってきたが、2025年3月23日に運転終了。その後26日に廃車回送された。
- ↑ 約17年間仙石線内を走ってきたが、2025年12月7日に運転終了。その後11日に廃車回送された。
- ↑ 2015年5月末まで運転された。車両の老朽化から引退後そのまま廃車となり、残念ながら現存しない。
- ↑ 該当車両はC-1編成とC-2編成。それぞれ「風」編成・「夢」編成と呼ばれている。
- ↑ もちろん運転されない日もある。
- ↑ 2025年12月8日現在
- ↑ 仙石東北ラインに使われる車両HB-E210系は2両編成
- ↑ クハ205形のみヤテ17編成(サハ205-33)、あとの3両はヤテ19編成(モハ205-56,モハ204-56,サハ205-38)の組成。尚、ヤテ17編成は東急車輌製造、ヤテ19編成は近畿車輛にて製造されている。
- ↑ サハ205-49,モハ205-74,モハ204-74,サハ204-50の組成。尚、いずれも川崎重工業にて製造されている。
- ↑ 2WAYカラー時代は約6年、ラッピング時代は引退に至るまで約17年と、2WAYカラー時代の3倍近い期間をラッピングトレインとして運転していた。それでも、運用開始した時点でラッピングが施されていた弟分の方が長いのだが。
- ↑ 余談だが、初代の方は試作段階(7月の告知段階)で編成番号が「M2(ID-02)」となっており、一部界隈にて話題となった。
となると試作品はⅡの方を改造した説が微レ存?尚、実際に販売されたモデルは「M8(ID-08)」に修正されている。残念ながらモデルとなった実車はというとNゲージとしての商品化(とE131系800番台の姿)を見ることなく5月末に郡山総合車両センターにて全車解体された。