ヘンリー7世
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ヘンリー7世(英:Henry VII)とは、イングランド・テューダー朝の初代国王。
生涯[編集]
1457年1月28日に生まれる。父はヘンリー5世王妃キャサリン・オブ・ヴァロワの息子で、母はランカスター家の傍系出身のマーガレット・ボーフォート。ランカスター家とヨーク家が王位を争った薔薇戦争により、1471年までにランカスター本流の男子は死亡したためヘンリーがランカスター派の最後の希望となっていた。王位を手にしたヨーク家から逃れてフランスに身を潜めていたが、1483年にリチャード3世が甥の王位を事実上簒奪する形でイングランド王に即位すると、世論を味方につけて1485年にイングランドへ上陸した。ウェールズの軍勢を加えて大軍に膨れ上がったヘンリーの軍はボズワーズでリチャード3世を倒し、8月22日にイングランド王に即位。ヘンリー7世となった。ヘンリーはエドワード4世の王女エリザベス・オブ・ヨークと結婚することで2つの王家の統合を図った。また、テューダー家の家紋に赤薔薇と白薔薇の意匠を組み合わせたテューダー・ローズを採用した。
ヘンリー7世は24年の治世において長きにわたる薔薇戦争で荒廃したイングランドの経済を建て直し、貴族の弱体化に漬け込んで王権を強化。孫のエリザベス1世のイングランド黄金時代の下地を作った。1509年4月21日に結核で崩御。享年52。長男のアーサーは若くして病死していたため、次男のヘンリーが王位を継承した。