パーヴェル1世
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パーヴェル1世(露:Павел I)とは、ロマノフ朝・ロシア帝国の9代目皇帝。
1754年10月1日に生まれる。父はピョートル3世(諸説あり)、母はエカチェリーナ2世。パーヴェルは生後ももなく実母から引き離され、当時のロシア女帝エリザヴェータの元で養育された。彼女に溺愛されて育ったことが、パーヴェルの人格形成に悪影響を及ぼしたとされる。成長したパーヴェルはドイツ貴族の娘ナターリアを妃に迎えるが3年で死別し、同じくドイツ貴族の娘マリアと再婚した。夫婦仲は円満で、後のアレクサンドル1世とニコライ1世を含む10人の子宝に恵まれた。パーヴェルはエカチェリーナ2世と仲が悪く、母が自身を毒殺するのではないかと疑心暗鬼に陥った。1796年にエカチェリーナ2世が崩御したことでロシア皇帝に即位すると、直ちに帝位継承法を制定して女子が皇位に着くことを禁じた。当時のロシアは対仏大同盟でフランスと敵対していたが、パーヴェルはナポレオン・ボナパルトに心酔していたという個人的な理由で外交政策を転換し、逆にフランスと同盟を結んだ。こうした失策によりパーヴェルは貴族や軍隊の不興を買い、1801年3月11日に就寝中に将校達の手で殺害された。享年46。長男アレクサンドルが後を継いだ。