ニコライ1世

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ニコライ1世(露:Николай I)とは、ロマノフ朝ロシア帝国の11代目皇帝。

1796年7月6日パーヴェル1世の3男として生まれる。1817年プロイセン王女シャルロッテ(アレクサンドラに改名)と結婚し、4男3女をもうけた。ニコライはピョートル1世に次ぐ長身で、身長は2メートル近くあったという。1825年、長兄のアレクサンドル1世が危篤に陥った。アレクサンドルには子供がおらず、次兄のコンスタンティンは貴賤結婚により皇位継承権を放棄していたためニコライが後継者に指名された。気楽な皇子として生活することを望んでいたニコライはこれにショックを受けたという。12月1日にニコライ1世として即位。12月26日の新皇帝への宣誓式の際に反体制派の青年将校らが議会設立を求めて反乱を起こした(デカブリストの乱)ものの、直ちに鎮圧を命じ反乱は一日で終結した。ニコライ1世は自由主義者へ激しい弾圧を加え、皇帝の専制政治を強化した。外交面では不凍港確保のための南下政策を推し進め、ギリシア独立戦争エジプト=トルコ戦争に相次いで介入したが、これにより財政は次第に悪化した。1853年にはバルカン半島への影響力拡大を狙ってオスマン帝国との間にクリミア戦争を起こしたが、イギリスフランスがオスマン側に回ったことで不利となり、敗戦を重ねた。1855年3月2日に崩御。享年58。長男のアレクサンドルが後を継いだ。