テイ・シー・ジェー
株式会社テイ・シー・ジェー(英語:Television Corporation of Japan、TCJ)は、TVCM企画・制作会社。ヤナセの関係会社[1]。
歴史[編集]
1952年10月8日に梁瀬自動車社長の梁瀬次郎がテレビ受像機の輸入販売、テレビ用コマーシャルフィルム(CF)、アニメーションフィルムの制作を目的として日本テレビジョン株式会社を設立した[2][3]。梁瀬は前年に渡米し、ロサンゼルスで住宅の屋根の上に林立するテレビアンテナを見て日本にもテレビ時代が来ることを予見した。またニューヨークで知り合ったジョン田中(元進駐軍兵士。設立後常務取締役。1954年に退任してアメリカに帰国)からテレビフィルム、CF、アニメーションの制作会社の設立を提案され、日本テレビジョンを設立する運びとなった。設立にあたり、旧財閥当主の三井高公、大倉喜七郎、古河従純、安田一らの出資を得た[4]。
1953年暮にアニメーション『蜜蜂マーヤの冒険』を制作。『日本アニメーション映画史』によると、製作:TCJプロダクション、監督:芦田いわお、動画:福田里三郎。アンスコ・カラー。1954年1月完成。1954年5月の第1回東南アジア映画祭の非劇映画部門で参加特別賞を受賞[5]。梁瀬次郎によると、「戦後日本で作成された第一号の動画映画」であり、大映社長の永田雅一が一般上映を確約していたが破約した[6]。『ヤナセ100年の轍』によると、「戦後の日本で第一号となる総天然色長編アニメーション」[2]。
1953年8月に民間テレビ放送第1号の日本テレビ放送網株式会社がテレビ放映を開始するとCFの制作依頼が激増した。1954年以降、精工舎、森永製菓、カルピス、サントリー、明治製菓などからCFの制作を受注した。松下電器の「明るいナショナル」やサントリーの「アンクルトリス」[6]、桃屋の「のり平」シリーズなどで知られる[7]。設立以来赤字が続いていたが、1957年から黒字決算となった[8]。
テレビCMの中心がアニメから実写に移ったこと、日本初の30分テレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』の成功に刺激を受けた電通に話を持ち込まれたことにより[9]、1963年に映画部を設置した。村田英憲が部長に就任。映画部はTCJ初のテレビアニメシリーズ『仙人部落』(1963-1964年)、『鉄人28号』(1963-1966年)、『エイトマン』(1963-1964年)、TCJ初のカラーテレビアニメシリーズ『サスケ』(1968-1969年)などを制作した[10][11]。
1969年2月18日に日本テレビジョン株式会社から株式会社テイ・シー・ジェー(TCJ)に社名変更した[12]。この頃に日比谷輝夫(梁瀬次郎の親戚。1966年入社。1967年常務。1970年専務)の下で会社の部門を独立させて独立採算制にする改革が行われた[13][14]。1968年に美術部門を分離してTCJ美術センターを設立。1969年に映画部門を分離してTCJ動画センターを設立。1972年に合成部門の機材と人員を東映化学工業へトレード。1974年に録音部門の人員を東洋現像所のビデオセンターへトレード。1975年にセールス・プロモーション部門(SP部門)を設置[13]。TCJ動画センター(アニメーション制作)とTCJ美術センター(美術制作、貸スタジオ)はTCJの子会社であったが[15]、1973年5月にTCJ動画センターはTCJから株を全額譲渡されて株式会社エイケンに改称し[16]、TCJおよびヤナセの傘下から独立した。
1984年6月にヤナセ全額出資の会社となった[16]。2002年10月にMC本部(SP部門)をアイベックスアンドリムズへ営業譲渡した[16]。
TCJ動画センターの独立[編集]
1969年にTCJからTCJ動画センターが分離独立した原因は、1968年から1973年にTCJでアニメーターの中村二三男の解雇撤回闘争が行われ、この際に日本映画テレビ産業労働組合(映産労)の組合員が東芝本社(『カムイ外伝』のスポンサー)とヤナセの梁瀬次郎社長宅を囲んでデモを行ったことだとされる[17]。なおTCJ映画部企画室長の高橋茂人は映画部の分離独立を機に退社し、アニメの企画マネジメント会社「瑞鷹エンタープライズ」を設立した[18]。高橋はTCJ在籍中から『ムーミン』や『アルプスの少女ハイジ』のアニメ化を考えており、1967年に芦田豊雄キャラクザターデザインで『ハイジ』のパイロット版を制作している。
1973年にTCJ動画センターがエイケンに改称してTCJおよびヤナセの傘下から独立した原因は、梁瀬次郎によると、「急激に拡大した映画部に入社してきた青年の中には、多少革新的な考え方を有していた人もいて、運営上株式会社ヤナセに悪影響を与えかねない状況となった」からだとされる[10]。
出典[編集]
- ↑ 出版文化社制作・編集『ヤナセ100年の轍(PDF)』ヤナセ、2015年、186頁
- ↑ a b 出版文化社制作・編集『ヤナセ100年の轍(PDF)』ヤナセ、2015年、66-67頁
- ↑ 梁瀬次郎『轍2――日本自動車界のあゆみとヤナセ 2版(PDF)』図書出版社、1988年、277-299頁
- ↑ 梁瀬次郎『轍2――日本自動車界のあゆみとヤナセ 2版(PDF)』図書出版社、1988年、277-278頁
- ↑ 山口且訓、渡辺泰著、プラネット編『日本アニメーション映画史』有文社、1978年、245頁
- ↑ a b 梁瀬次郎『轍2――日本自動車界のあゆみとヤナセ 2版(PDF)』図書出版社、1988年、305頁
- ↑ 河村鳴紘「まもなく8000話の「サザエさん」 制作した老舗アニメ会社 半世紀超の歴史」Yahoo!ニュース、2022年3月18日
- ↑ 梁瀬次郎『轍2――日本自動車界のあゆみとヤナセ 2版(PDF)』図書出版社、1988年、301頁
- ↑ 小野耕世「高橋茂人,日本におけるテレビCMとTVアニメの草創期を語る(TCJからズイヨーへの歴史)」『京都精華大学紀要』第26号、2004年
- ↑ a b 梁瀬次郎『轍2――日本自動車界のあゆみとヤナセ 2版(PDF)』図書出版社、1988年、306-310頁
- ↑ エイケンのあゆみ エイケン50周年記念特設ページ
- ↑ 出版文化社制作・編集『ヤナセ100年の轍(PDF)』ヤナセ、2015年、210頁
- ↑ a b 梁瀬次郎『轍2――日本自動車界のあゆみとヤナセ 2版(PDF)』図書出版社、1988年、310-313頁
- ↑ 椎橋勇「アドマンプロフイル 日比谷輝夫さん JCJ」『月刊民放』第8巻第10号(通巻88号)、1978年10月
- ↑ 『巧言令色の狙撃兵たち――CM製作者 共同報告・情報キャンパスV』産報、1972年、19-20頁
- ↑ a b c COMPANY TCJ - Television Corporation of Japan
- ↑ 久美薫「訳者解説(PDF)」、トム・シート著、久美薫訳『ミッキーマウスのストライキ!――アメリカアニメ労働運動100年史』合同出版、2014年
- ↑ ちばかおり『ハイジが生まれた日――テレビアニメの金字塔を築いた人々』岩波書店、2017年、43-45頁
関連文献[編集]
- 但馬オサム、鷺巣政安『アニメ・プロデューサー鷺巣政安――さぎすまさやす・元エイケン製作者』(ぶんか社、2016年)