タシケント
タシケント(ウズベク語:Toshkent、ロシア語:Ташкент)は、ウズベキスタンの首都で、同国最大の都市。タシュケントとも表記される。中央アジアの政治・経済・文化・交通の中心都市のひとつである[1][2]。
地理[編集]
ウズベキスタンの北東部、天山山脈の北西側に位置する。シルダリヤ川の支流であるチルチク川沿いのオアシスに発達した都市である[2]。
旧市街にはモスクやマドラサ(イスラム教の学校)、バザールなどがあり、新市街には広場や公園、近代的な建築物がみられる。旧市街の中心的な市場がチョルスー・バザール、新市街の代表的な広場がティムール広場である[1]。
歴史[編集]
古代・中世[編集]
2000年以上の歴史を持ち、古くはチャーチ、シャーシュなどの名で知られた。シルクロードの交易路上に位置し、商業や手工業の拠点として発展した[3]。現在の都市名は「石の町」を意味する[2]。
中世にはサーマーン朝やカラハン朝、チャガタイ・ハン国、ティムール朝などの支配を受けた。19世紀初めにはコーカンド・ハン国の領土となった[2]。
ロシア帝国・ソ連時代以降[編集]
1865年にロシア帝国に征服され[2]、1867年にはトルキスタン総督府が置かれた。以後、ロシアによる中央アジア支配の拠点となった[4]。
ロシア革命後はソ連の支配下に入り、1930年にはウズベク・ソビエト社会主義共和国の首都となった[2]。
1966年4月26日にはタシケント地震が発生し、市街地が大きな被害を受けた。その後、ソ連各地からの支援によって復興が進められ、都市の姿も大きく変わった[2][5]。1991年のウズベキスタン独立後も、引き続き同国の首都となっている[2]。
経済・文化[編集]
商業や行政の中心地であるとともに、繊維、機械、化学、食品などの工業が発達してきた。大学や研究所、博物館、劇場なども集まる学術・文化の拠点である[2]。
ウズベク系、ロシア系、朝鮮系など、多様な背景を持つ人々が暮らしている[1]。
交通[編集]
タシケント国際空港があり、国内外を結ぶ航空路の拠点となっている。鉄道や道路も集まり、ウズベキスタン各地への交通の要地となっている[2][6]。
市内ではタシケント地下鉄が運行されている。1977年に中央アジアで初めて開業した地下鉄で、駅ごとに異なる装飾が施されている[6]。モザイクや人物像、伝統的な文様などを取り入れた駅があり、交通機関としてだけでなく観光対象にもなっている[7]。
主な名所[編集]
- チョルスー・バザール - 旧市街にある市場。大きな青いドームが特徴で、食品や衣料品、日用品などが売られている[1]。
- クカルダシュ・マドラサ - チョルスー・バザールの近くにある、16世紀に建てられたイスラム教の学校[1]。
- ハズラティ・イマーム広場 - モスクやマドラサなどが集まる宗教建築の一画[1]。
- ティムール広場 - ティムールの像が立つ、新市街の代表的な広場[1]。
日本との関係[編集]
市内のナボイ劇場は、1947年に完成したオペラ・バレエの劇場である。第二次世界大戦後、ソ連に抑留されてタシケントへ移送された日本人が、その建設に携わった[8]。日本とウズベキスタンの交流を伝える建物のひとつとなっている。
また、日本人抑留者が埋葬されたヤッカサライ墓地がある。日本の政府関係者がタシケントを訪れる際には、墓地への献花やナボイ劇場の視察も行われている[9]。
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ↑ a b c d e f g タシケント / Tashkent ウズベキスタン文化観光局、2026年10月22日閲覧。
- ↑ a b c d e f g h i j タシケント 『日本大百科全書(ニッポニカ)』『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』ほか、コトバンク、2026年10月22日閲覧。
- ↑ History of Tashkent Uzbekistan Travel、2026年10月22日閲覧。
- ↑ ウズベキスタン基礎データ 外務省、2026年10月22日閲覧。
- ↑ Monument "Courage" Visit Tashkent、2026年10月22日閲覧。
- ↑ a b Tashkent Uzbekistan Travel、2026年10月22日閲覧。
- ↑ Tashkent Metropolitan Uzbekistan Travel、2026年10月22日閲覧。
- ↑ 外交青書2017 第2章第5節 2 中央アジア諸国とコーカサス諸国 外務省、2026年10月22日閲覧。
- ↑ 林芳正外務大臣のウズベキスタン訪問(行事関連) 外務省、2022年4月30日、2026年10月22日閲覧。