スーパーマリン スピットファイア
スーパーマリン スピットファイア(英語: Supermarine Spitfire)は、イギリスのスーパーマリン社が開発した第二次世界大戦期の単座戦闘機である。その優美な楕円翼と高性能により、バトル・オブ・ブリテンをはじめとする大戦中の多くの空戦で活躍し、イギリス空軍の象徴的な存在となった。
開発経緯[編集]
スピットファイアの開発は、1930年代半ばにイギリス空軍省が発表した新型迎撃戦闘機の要求仕様F.37/34に応じて開始された。この要求は、それまでの複葉機ではなく、より高速な単葉機を求めていた。スーパーマリン社の主任設計者であったレジナルド・ミッチェルは、すでにシュナイダー・トロフィー・レース用の高速水上機であるスーパーマリン S.6Bを手がけており、その経験を活かして新型戦闘機の設計に着手した。
最初の設計案であるタイプ300は、楕円翼を採用した点が大きな特徴であった。この楕円翼は、翼面積の割に高い揚抗比を実現し、優れた運動性と高速性を両立させることに成功した。当初はロールス・ロイス・ケストレルエンジンの搭載が検討されたが、より強力なロールス・ロイス・マーリンエンジンの開発が進んでいたことから、最終的にはマーリンエンジンを搭載することとなった。
1936年3月5日、最初のプロトタイプであるK5054が初飛行に成功した。飛行試験の結果は極めて良好であり、イギリス空軍はスピットファイアの量産を決定した。しかし、初期の生産体制は遅滞気味であり、配備が本格化したのは第二次世界大戦開戦直前の1938年8月であった。
機体構造[編集]
スピットファイアの機体は、主にアルミニウム合金製のセミモノコック構造で構成されていた。特筆すべきはその主翼であり、上述の通り特徴的な楕円翼形状をしていた。この楕円翼は、構造的に複雑であり生産には手間がかかったが、翼全体にわたる揚力分布を理想に近づけることで、翼端失速を遅らせ、高い機動性を実現した。
降着装置は引き込み式の主脚と固定式の尾輪で構成されており、主脚は外側に引き込まれる形式であった。初期の型では固定式の尾輪であったが、後期の型では引き込み式の尾輪が採用された。
武装は、初期のMk.Iでは8丁のブローニング M1919 .303口径(7.7mm)機関銃を主翼内に装備していた。後に20mmイスパノ機関砲と機関銃を混載した型や、4門のイスパノ機関砲を搭載した型も登場した。これにより、スピットファイアの火力は大幅に向上した。
エンジンは、ほぼ全ての生産型を通じてロールス・ロイス・マーリンエンジンまたはその発展型であるロールス・ロイス・グリフォンエンジンが搭載された。特にマーリンエンジンは、信頼性と高性能を兼ね備え、スピットファイアの性能を支える重要な要素であった。エンジンの排気管は、当初は丸形であったが、後に推力排気管として利用できる魚雷型に変更され、僅かながら高速化に貢献した。
運用と戦歴[編集]
第二次世界大戦[編集]
スピットファイアは、第二次世界大戦の緒戦から終戦まで、イギリス空軍の主力戦闘機として幅広く運用された。
バトル・オブ・ブリテン[編集]
スピットファイアが最もその名を知らしめたのは、1940年のバトル・オブ・ブリテンである。この戦いでは、ドイツ空軍のBf109、Bf110、He111、Do17、Ju87などの爆撃機や戦闘機と対峙し、イギリス本土防衛の要となった。数的にはホーカー ハリケーンの方が多数であったものの、スピットファイアの優れた運動性と高高度性能は、ドイツの爆撃機や戦闘機に対して優位に立ち、イギリスの勝利に大きく貢献した。スピットファイアのパイロットたちは、「スピットファイアの機動性は、ハリケーンでは及ばない高高度の制空戦で威力を発揮した」と証言している。
欧州戦線[編集]
バトル・オブ・ブリテン以降も、スピットファイアは欧州戦線の各地で活躍した。イギリス海峡上空での掃討作戦や、北アフリカ戦線、イタリア戦線、そしてノルマンディー上陸作戦後の西部戦線における地上支援、戦闘爆撃任務など、多岐にわたる任務に従事した。特に、ドイツの新型機であるFw190の出現により、スピットファイアも改良が加えられ、エンジンの強化や武装の変更などが行われた。マークIXやマークXIVといった新型機は、Fw190にも対抗できる性能を発揮した。
その他の戦線[編集]
スピットファイアは、イギリス本国だけでなく、ソビエト連邦、アメリカ合衆国、オーストラリア、カナダ、南アフリカ連邦、ニュージーランド、インドなど、多くの連合国に供与され、各戦線で運用された。ソ連では、独ソ戦初期にマーリンエンジン搭載型が供与され、貴重な制空戦力として貢献した。地中海戦線や太平洋戦線の一部でも運用されたが、高温多湿な気候や長大な航続距離が要求される太平洋戦線では、その真価を十分に発揮できない場面もあった。
戦後[編集]
第二次世界大戦終結後も、スピットファイアは多くの国で運用が続けられた。特にイスラエルでは、1948年の第一次中東戦争において、同国空軍の主力戦闘機として活躍した。アイルランド空軍では1961年まで運用され、これがスピットファイアの軍用機としての最後の運用となった。
バリアント[編集]
スピットファイアは、その生産期間の長さと多様な任務への対応から、非常に多くのバリアントが開発された。主なバリアントを以下に示す。
- Mk.I:初期生産型。ロールス・ロイス・マーリンIIIエンジンを搭載し、8丁の.303口径機関銃を装備。バトル・オブ・ブリテンの主力機。
- Mk.II:Mk.Iの改良型。ロールス・ロイス・マーリンXIIエンジンを搭載。
- Mk.V:ロールス・ロイス・マーリン45エンジンを搭載し、武装を強化した主要生産型。20mm機関砲2門と.303口径機関銃4丁を装備する「b」型と、20mm機関砲4門を装備する「c」型が存在する。
- Mk.IX:フォッケウルフFw190に対抗するため、急遽開発された型。ロールス・ロイス・マーリン61系エンジンを搭載し、高高度性能と速度を向上させた。第二次世界大戦中盤の主力機。
- Mk.XII:ロールス・ロイス・グリフォンエンジンを最初に搭載した型。低高度での速度性能に優れる。
- Mk.XIV:グリフォンエンジン搭載型の中でも、高高度性能と武装を強化した最も強力な型のひとつ。ドイツのV-1飛行爆弾迎撃にも活躍した。
- Mk.XVI:Mk.IXのエンジンをアメリカ製のパッカード・マーリン266に換装した型。
- Mk.XVIII:終戦間際に登場したグリフォンエンジン搭載型。より洗練された空力と武装を持つ。
- Mk.XIX:非武装の偵察機型。グリフォンエンジンを搭載し、長大な航続距離と高高度性能を持つ。
- シーファイア:スピットファイアを航空母艦運用に対応させた艦載機型。
豆知識[編集]
- スピットファイアという名称は、設計者レジナルド・ミッチェルのあだ名である「スピットファイア(癇癪持ち)」に由来するという説があるが、実際にはスーパーマリン社の会長が娘を指して使っていた愛称から来ている。
- その美しい楕円翼は、理想的な揚力分布を実現するために設計されたものだが、製造には高い技術を要し、量産性を犠牲にしていたとも言われる。
- スピットファイアの胴体は、着座位置がかなり後方に配置されており、離着陸時の前方視界は必ずしも良好ではなかった。
- 多数生産されたスピットファイアは、今日でも多くの機体が飛行可能な状態で保存されており、航空ショーなどでその姿を見ることができる。
関連項目[編集]
- スーパーマリン
- レジナルド・ミッチェル
- ロールス・ロイス・マーリン
- ロールス・ロイス・グリフォン
- 第二次世界大戦
- バトル・オブ・ブリテン
- ホーカー ハリケーン
- メッサーシュミットBf109
- フォッケウルフFw190
- 航空機の一覧