エドワード2世
エドワード2世(英: Edward II)とは、イングランド・プランタジネット朝の6代目国王。イギリス史上最悪の国王と呼ばれる。
生涯[編集]
1284年4月25日に生まれる。父はイングランド王エドワード1世、母は王妃エリナー・オブ・カスティル。ジョン、ヘンリー、アルフォンソの3人の兄は既に亡くなっていたため4男のエドワードが王太子となった。しかしエドワードは貴族のピアーズ・ギャヴィストンと親密な関係になり、遊び呆けて政治や軍事に興味を持とうとしなかった。当時のイングランドはスコットランドと戦争の真っ只中であり、父エドワード1世は王太子を総大将としてスコットランドに派遣した。しかし、王太子には軍才が皆無であり、指揮も取らずギャヴィストンと遊んでばかりだったためスコットランド軍に大敗。これによりスコットランドの独立が確定し、グレートブリテン島が再び統一されるまでには約400年の歳月がかかることとなる。
1307年にエドワード1世が崩御し、王太子がエドワード2世として即位した。1308年にはフランス王フィリップ4世の娘イザベラと結婚する。彼女は佳人イザベラと呼ばれるほどの美貌の持ち主だったが、エドワード2世の心はギャヴィストンに占領されていたので興味を示すことは無かった。1314年にギャヴィストンは諸侯の手で誅殺されるが、今度はディスペンサー親子を寵愛するようになった。ディスペンサー親子は王の信任を背景に専横を極め、賄賂により私腹を肥やした。
1326年、王妃イザベラと貴族ロジャー・モーティマーが結託してクーデターを起こした。エドワード2世は廃位され、14歳の王太子エドワードがエドワード3世として擁立された。ディスペンサー親子は残虐な方法で処刑され、エドワード2世も幽閉先でイザベラの放った刺客に肛門に熱した鉄箸を突っ込まれて殺された。享年43。