エドワード1世

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エドワード1世(英:Edward I)とは、イングランド・プランタジネット朝の5代目国王。渾名は長脛王(ロングシャンクス)、スコットランド人への鉄槌(ハンマーオブザスコッツ)。

生涯[編集]

1239年6月17日、イングランド王ヘンリー3世と王妃エリナー・オブ・プロヴァンスの長男として生まれる。1254年にはカスティーリャ王国の王女エリナーと結婚した。1264年、ヘンリー3世の失政が原因でシモン・ド・モンフォールらが反乱を起こす。一時は父王と共に捕えられるが、最終的には脱出してシモン・ド・モンフォールを戦死させ反乱を鎮圧した。以後はエドワードが政治を執り仕切るようになり、1272年に父王が崩御したためエドワード1世として即位した。

エドワード1世は積極的な対外政策を行い、1282年ウェールズを併合。スコットランドにも王位継承争いに介入することで事実上の属国とした。なお、エドワード1世の侵略に抵抗したスコットランドの英雄ウィリアム・ウォレスを描いた作品が映画「ブレイブハート」である。このほかにもフランドル地方の覇権を巡ってフランスフィリップ4世と争った。こうした戦争の莫大な費用を補うためにエドワード1世は後に「模範議会」と呼ばれる、幅広い身分から構成される議会を頻繁に召集している。また、1290年にはユダヤ人を国外追放しその財産を没収した。

スコットランドでの抵抗運動は激化の一途を辿り、1305年に首領のウォレスを捕らえて首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑で処刑した後も収まる様子を見せなかった。1306年、病身のエドワード1世は反乱軍討伐のためにスコットランドへ出陣するが、容体が悪化し1307年7月7日に崩御した。享年68。4男エドワードが王位を継いだが、彼は無能でイングランドはスコットランドに大敗することとなる。

逸話[編集]

  • 1270年、フランス王ルイ9世に伴って十字軍遠征に参加したが、イスラム側に毒を塗った剣で斬りつけられ重傷を負ってしまうが、妻エリナーが自ら毒を口で吸い出したため急死に一生を得た。