ロッキード F-104 スターファイター

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ロッキード F-104 スターファイター(Lockheed F-104 Starfighter)は、アメリカ合衆国ロッキード社が開発した超音速迎撃戦闘機である。その独特の細く短い主翼とロケットのような外見から、「有人ミサイル(Man-Missile)」、「空飛ぶ鉛筆(Flying Pencil)」などの異名で知られる。音速の2倍を超える速度性能を持ち、当時の航空機としては極めて優れた加速性能と上昇性能を誇った。しかし、その空気力学的な特性から、特に着陸時の事故率が高いことでも悪名高く、「未亡人製造機(Widowmaker)」とも呼ばれた。

開発経緯[編集]

第二次世界大戦後、朝鮮戦争を経験したアメリカ空軍は、より高性能な制空戦闘機の必要性を痛感していた。当時、主流であったミグ15F-86といった後退翼機では、音速の壁を超える際に様々な問題が発生しており、超音速飛行を安定して行える機の開発が喫緊の課題となっていた。

ロッキード社のケリー・ジョンソン率いるスカンクワークスは、既存の戦闘機とは一線を画す革新的な設計思想に基づき、F-104の開発に着手した。ジョンソンは、パイロットからの意見聴取を通じて、当時の戦闘機が過度に複雑化し、肥大化しているという結論に達した。彼は、速度と上昇性能に特化した、シンプルで軽量な航空機こそが理想的であると考えた。この設計哲学は「より速く、より高く、より遠く」という従来の思想とは異なり、「より小さく、より軽く、よりシンプルに」というものであった。

具体的には、主翼は超音速飛行時の造波抵抗を最小限に抑えるため、非常に薄く、かつ短い直線翼が採用された。この主翼は、当時としては革新的なアスペクト比の小さい設計であり、その厚さはわずか約10センチメートルであった。主翼の強度を確保するため、チタン合金が多用された。また、エンジンには強力なゼネラル・エレクトリック J79ターボジェットエンジンが搭載され、F-104の驚異的な加速性能と上昇性能を実現した。

最初の試作機であるXF-1041954年3月4日に初飛行を行った。開発は順調に進み、1956年には量産型であるF-104Aがロールアウトし、1958年アメリカ空軍に配備された。

特徴[編集]

F-104の最大の特徴は、その極めてアスペクト比の小さい直線翼である。この主翼は、超音速飛行時の抵抗を減らすには有効であったが、低速域、特に離着陸時には揚力が不足するという欠点を抱えていた。このため、主翼には前縁フラップ後縁フラップに加え、境界層制御システムBLC)が搭載された。BLCは、エンジンから抽気した高圧空気をフラップに吹き付けることで揚力を増大させる仕組みであったが、エンジントラブル時には作動せず、事故のリスクを高める要因ともなった。

また、尾翼は一般的な機体と異なり、T字型配置の全動式水平尾翼が垂直尾翼のほぼ頂点に設置されていた。これは主翼の後方に位置する衝撃波の影響を受けにくくするための措置であった。しかし、この配置はストール(失速)時に水平尾翼が主翼の気流に隠れて操縦不能に陥るディープストール現象を引き起こす危険性を内包していた。初期のF-104では、このディープストールによる事故も発生している。

F-104は、その高速性能を活かすため、当時の最新鋭の火器管制装置FCS)であるAN/ASG-14を搭載し、AIM-9 サイドワインダー空対空ミサイルを主武装としていた。初期型では機首に20mmバルカン砲を装備していたが、一部の改修型では重量軽減のため撤去された。

運用と評価[編集]

F-104はアメリカ空軍で運用された他、NATO加盟国を中心に世界各国に供与またはライセンス生産され、多くの国で主力戦闘機として採用された。特にドイツ空軍航空自衛隊など、西側諸国の防空の要として活躍した。

しかし、その革新的な設計は同時に多くの運用上の課題も生み出した。特に、低速域での不安定性や着陸時の高い対気速度は、多くの事故を引き起こした。各国でのF-104の事故率は高く、特にドイツ空軍では「未亡人製造機」という不名誉なレッテルを貼られるほどであった。これに対し、F-104の事故原因は、機体設計上の問題だけでなく、パイロットの訓練不足や運用環境、整備体制の問題も大きかったとする意見もある。

それでも、F-104は当時のソ連爆撃機に対抗するための迎撃機としては有効な手段であり、その高速性能と上昇性能は他の追随を許さないものがあった。ベトナム戦争においては、限られた期間ではあったが、アメリカ空軍のF-104Cが戦闘爆撃機として地上支援任務に投入された例もある。

最終的にF-104は、より多用途性を持つF-4 ファントムIIF-16 ファイティングファルコンなどの後継機に道を譲り、各国で順次退役していった。イタリア空軍が最後まで運用を続け、2004年に全機退役したことで、半世紀にわたるF-104の歴史に幕が下ろされた。

各国のスターファイター[編集]

アメリカ[編集]

アメリカ空軍では、主に迎撃戦闘機として運用された。初期のF-104AF-104C、そして戦闘爆撃機型であるF-104Gなどが配備された。ベトナム戦争では、F-104Cが地上攻撃任務にも投入されたが、その運用期間は短かった。

ドイツ[編集]

ドイツ空軍は、最も多くのF-104を運用した国の一つである。主にF-104Gが配備され、核攻撃能力を持つ戦闘爆撃機としても運用された。しかし、その高い事故率が社会問題となり、大きな論争を巻き起こした。ドイツはF-104の運用によって、多くのパイロットを失った。

日本[編集]

航空自衛隊は、F-86F セイバーの後継機としてF-104の導入を決定し、F-104Jとしてライセンス生産を行った。三菱重工業が中心となって生産され、日本の防空の要として長きにわたって運用された。日本のF-104Jは、迎撃に特化した機体であり、ドイツのような戦闘爆撃機としての運用は行われなかった。航空自衛隊での愛称は「栄光」。

イタリア[編集]

イタリア空軍もまた、F-104の主要な運用国であり、F-104Sなどの改良型を導入した。イタリアは最後までF-104を運用した国であり、2004年に全機を退役させた。彼らはF-104を効率的に近代化し、比較的良好な運用実績を上げたことで知られる。

カナダ[編集]

カナダ空軍は、CF-104としてF-104を運用した。主に核兵器搭載能力を持つ戦闘爆撃機として、NATOの任務に従事した。

派生型[編集]

  • XF-104: 試作機。
  • F-104A: 初期生産型。迎撃戦闘機。
  • F-104B: 複座練習機型。
  • F-104C: 戦闘爆撃機型。空中給油能力を持つ。
  • F-104D: F-104Cの複座練習機型。
  • F-104G: 多用途戦闘機型。構造強化、改良されたアビオニクスを搭載。西ドイツ向けに開発され、各国でライセンス生産された。
  • RF-104G: 戦術偵察機型。F-104Gをベースに開発された。
  • TF-104G: F-104Gの複座練習機型。
  • F-104J: 日本の航空自衛隊向けの迎撃戦闘機型。F-104Gをベースに日本の要求に合わせて改修され、三菱重工業でライセンス生産された。
  • F-104DJ: F-104Jの複座練習機型。
  • F-104S: イタリア向けに開発された改良型。強力なエンジンと追加ミサイル搭載能力を持つ。
  • CF-104: カナダ向けに開発されたF-104Gの派生型。

豆知識[編集]

  • F-104の極端に短い主翼は、わずか約3.3メートルの全幅しかなかった。これは、当時のほとんどの戦闘機の主翼よりもはるかに短い。
  • F-104は、垂直尾翼の高さが主翼の全幅よりも長いという珍しい特徴を持つ。
  • F-104の操縦桿は、当時の他の航空機とは異なり、座席の横に配置された「サイドスティック」であった。これは、パイロットがGのかかる飛行中でも操縦しやすいように工夫されたものだ。
  • F-104は、当時の戦闘機としては異例の射出座席システムを持っていた。初期型では機体下部に射出される方式であったが、これは低高度での脱出時に危険を伴うため、後に上方射出式に改められた。
  • F-104が高速飛行時に発生させる「ソニックブーム」は非常に強力で、地上にかなりの騒音と衝撃波をもたらした。

関連項目[編集]

参考書籍[編集]