BT-7 快速戦車

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BT-7は、ソビエト連邦第二次世界大戦前に開発・生産した快速戦車である。その名称の「BT」はロシア語の「Быстроходный танк」(ビストロホードヌイ・タンク、快速戦車)の頭文字に由来する。高い機動力とそれまでのBTシリーズで培われた技術を基に、改良が加えられた本車は、独ソ戦初期においてソビエト赤軍の主力戦車の一つとして運用された。

開発[編集]

BT戦車の開発は、アメリカのクリスティー戦車のライセンス生産と改良から始まった。BT-5の後継として、ハリコフ機関車工場(KhPZ)は1933年から1934年にかけてBT-7の開発を進めた。主な改良点は、車体の再設計による防御力の強化、エンジンの換装、そして搭載燃料の増量による航続距離の延長であった。

初期の試作車は1934年に完成し、1935年には量産が開始された。BT-7は、その後のT-34の開発に大きな影響を与えたとされる、ソビエト戦車開発史において重要な位置を占める戦車である。

設計[編集]

BT-7は、クリスティー戦車の特徴である「クリスティー式サスペンション」を継承しており、履帯と車輪のどちらでも走行が可能な「高速路外走行能力」を有していた。これは、ソビエト赤軍が重視した高速機動力を実現するための重要な要素であった。

武装[編集]

主砲には45mm 20-K戦車砲を装備し、これは当時の各国戦車砲と比較しても高い貫徹力を持っていた。砲塔には同軸機関銃として7.62mm DT機関銃が装備され、車体前方にもう一丁のDT機関銃が搭載された車両も存在した。

装甲[編集]

装甲は均質圧延鋼板で、最大22mm厚であった。これは当時の他の快速戦車と同程度の防御力であったが、対戦車砲の発展に伴い、第二次世界大戦中期以降は不十分なものとなった。

機動力[編集]

エンジンは、航空機用のミクーリン AM-34M-17系列)液冷V型12気筒ガソリンエンジンを転用したもので、400馬力を発生した。これにより、路上では最大72km/h、不整地でも45km/hという高い速度を発揮することができた。

派生型[編集]

BT-7には、いくつかの派生型が存在する。

  • BT-7:基本型。
  • BT-7A:砲塔を大型化し、短砲身の76.2mm KT-28戦車砲を搭載した砲兵支援型。火力支援を目的として少数生産された。
  • BT-7M (A-8):より強力なディーゼルエンジンを搭載した型。これは後のT-34のディーゼルエンジン開発に繋がる重要なステップであった。
  • OT-7火炎放射戦車型。
  • BT-7RT:無線装備を強化した指揮戦車型。

実戦と運用[編集]

BT-7は、ソビエト赤軍の各機械化部隊に広く配備され、1939年ノモンハン事件1939年から1940年にかけての冬戦争で実戦投入された。特にノモンハン事件では、日本軍の対戦車装備が不十分であったこともあり、その機動力を活かして活躍した。

しかし、1941年独ソ戦開戦時、ドイツ軍の高性能な対戦車砲や戦車に対しては、その装甲の薄さから大きな損害を被った。それでもなお、多くのBT-7がソビエト赤軍の反攻作戦に参加し、その役割を終えるまで戦い続けた。一部の車両は1945年満州侵攻にも参加している。

豆知識[編集]

  • BT-7の設計思想は、後のソビエトの傑作戦車であるT-34に大きな影響を与えました。特に、傾斜装甲の採用やディーゼルエンジンの開発は、BTシリーズの経験から生まれたものです。
  • BT戦車は、その高速性から「タイヤ走行」が可能という特異な特徴を持っていました。これは、クリスティー式サスペンションの恩恵によるものです。しかし、実戦ではほとんど利用されることはありませんでした。

関連項目[編集]

参考書籍[編集]

  • グランドパワー別冊「ソ連軍戦車BT」(ガリレオ出版)
  • マイク・シャープ、ブライアン・パーソンズ『第二次世界大戦のソビエト戦車』(大日本絵画)