金 (王朝)
(金朝から転送)
金(きん、拼音:Jin)とは、かつて中国東北部に存在した女真族の征服王朝である。国政は完顔(わんやん)。
歴史[編集]
興隆[編集]
かつて高句麗や渤海を建国したとされる靺鞨人の末裔である女真人は、10世紀以降契丹が建てた遼の支配下に置かれていた。1113年、長年の圧政に耐えかねた女真は完顔部の族長・阿骨打(太祖)の元で団結し反乱を起こした。女真軍は連戦連勝で、1115年に太祖は上京会寧府に於いて遼からの独立と自身の大金皇帝即位を宣言した。1120年には北宋と海上の盟を結び、南北から挟撃することで遂に遼を崩壊させるに至った。太祖の後を継いだ2代目の太宗は北宋に攻め込み開封を陥落させ(靖康の変)、高麗と西夏を支配下に置き最大版図を築いた。続く熙宗と海陵王の時代には暴政や南宋との戦争により一時混乱状態に陥ったが、5代目世宗が即位すると安定を取り戻し、金朝は最盛期を迎えた。
滅亡[編集]
しかし、世宗期以降、女真族の間で漢人の文化が浸透し、華美な風潮が広まったことで元来の質実剛健な気風が失われ、長く平和が保たれたことにより軍事力も弱体化した。1210年代以降、この弱点に漬け込んだモンゴル軍の侵入が激化。8代目の宣宗の代には領土の北半分を失陥したうえ、モンゴルと組んだ南宋に歳弊を打ち切られ国庫が底をつく事態となった。1232年、起死回生をかけて臨んだ山峰山の戦いでモンゴル軍に大敗し軍主力が壊滅。1234年にはオゴデイ率いる南宋・モンゴル連合軍の攻撃で最後の拠点の開封が陥落し、追い詰められた皇帝哀宗は首を括って自害した。直前に哀宗から譲位された末帝も半日後にモンゴル軍に討ち取られ、金は119年の歴史に幕を閉じた。