負け女郎
「負け女郎」は、手塚治虫による短編漫画作品。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の「雪女」が原作として挙げられている。
『漫画サンデー』(実業之日本社)の1972年1月22日号に読み切り掲載された。
あらすじ[編集]
第二次世界大戦中。南方のある島で日本軍は玉砕したが、ただ1人、生き残った男がいた。場違いに、泉で全裸になって水浴びしている女を男は目撃する。女は自分を「負けの女神」だと言った。負けの女神は男の命を奪おうとしたが、女神の存在を誰にも話さないことを条件に命を奪うことを保留した。
その後、日本兵の遺骨を探しに島を訪れた女性と出会い、彼女が女神にそっくりだったこともあり、男は日本へ帰り、女と結婚した。
しかし、夜の生活は盛んなものの、男の仕事は巧くはいかず、ついには別れることになった。おりしも朝鮮戦争が勃発。朝鮮戦争に従軍するアメリカ兵向けにダッチワイフのような尻パーツ(モデルは元・妻)を作ったところ、これが大ヒット。朝鮮戦争が休戦になるまでに資産30億円ほどつくり、郊外に3階建ての自宅も建てた。
昭和33年(1958年)、いっぱしの事業家となった男は大人のレジャーランド建設に手を出す。売春、バー、クラブ、パチンコ、麻雀、ブルーフィルム上映が一箇所で楽しめる「ドリームランド」の建設、運営である。銀行や鉄道会社の協力も取り付け、さぁ、これからというときに、元・妻と再会し、よりを戻した。その直後、国会で赤線廃止が決定、ドリームランドの名称が家族向け遊園地に先行使用され、更には脱税がバレて2000万円の追徴課税。それでもメゲずに初心に戻って新型ダッチワイフを開発するも、塗料に毒性がありダッチワイフにキスしたら中毒に、煙草を吸いながらダッチワイフを用いたら大爆発を起こしたり。さらにはダッコちゃんの真似だと訴えられたり、猥褻であると警察に押収されたり。やはり、妻は疫病神だと、再び追い出す。
心機一転。映画会社を作った男は「負けの女神」のことを映画化した。再び元・妻とよりを戻そうとしたが、妻は本物の負け女神であり、約束を破った男に対してずっと日本に居続けると宣言した。
その後の日本は企業倒産は続出し、日本チャンピオンはタイトル防衛失敗し、読売ジャイアンツや横綱も負け越した。首相の人気は落ち、与党の獲得票数も減ったが原因はさっぱりわからなかった。おそらく負けの女神が日本のどこかに居座っているのであろう。