若竹 (寄席)
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若竹(わかたけ)とは、東京都江東区東陽にあった円楽一門会が経営していた寄席である。
概要[編集]
1978年(昭和53年)に勃発した落語協会分裂騒動で六代目三遊亭圓生の一門の殆どは圓生の立ち上げた落語三遊協会へと移籍するが、翌年9月3日に圓生が急死して自然消滅。1980年(昭和55年)2月1日に五代目三遊亭圓楽を除く殆どが落語協会へと復帰した。
独自の路を歩むこととなった園楽一門は1980年に大日本落語すみれ会(後の円楽一門会)を創立したが、浅草演芸ホール・鈴本演芸場・新宿末廣亭・池袋演芸場の都内の定席寄席に出演できなくなった。そこで園楽は弟子達の稽古場として、私財を投じて億単位の借金までして江東区東陽に寄席若竹を新設した。若竹は6階建ての若竹ビルの2~3階に入居する形だった。
基本的に昼に園楽一門の噺家や色物芸人による定席興行を行い、夜は大学の落語研究会などのアマチュア団体も含む貸席営業や日本テレビ系『笑点』やNHKの番組の収録に使われたこともある。なお園楽一門であっても若竹で興行を開く際には毎回使用料を徴収していたという。
都心のターミナル駅から離れたビジネス街にあって集客が悪く、開業からしばらくすると園楽の弟子達は営業の仕事を優先するようになり、園楽も若竹の借金を返すためにテレビ番組や講演会を優先するようになって出番が減り、1989年(平成元年)11月25日に閉鎖された。
なお閉鎖後、笑点の大喜利において若竹の早期閉鎖や借金をネタにされ、弟子の三遊亭好楽が後に開業した池之端しのぶ亭についてもそのネタがスライドしている。