航空主兵主義

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航空主兵主義(こうくうしゅへいしゅぎ、英語: Air power primacy)は、戦争において航空戦力が最も決定的な役割を果たすという軍事思想である。この思想は、第一次世界大戦以降の航空技術の急速な発展を背景に提唱され、第二次世界大戦においてその有効性が一部で実証されたことで、各国の軍事戦略に大きな影響を与えた。

概要[編集]

航空主兵主義は、陸上戦力や海上戦力といった従来の軍事力に比して、航空機が持つ速度高度航続距離攻撃力といった特性が、戦局を決定づける上で優位であると主張する。具体的には、敵国の戦略的目標(工業地帯、交通網、政治中枢など)への直接攻撃による継戦能力の破壊、敵航空戦力の撃破による制空権の確保、そして地上部隊や海上部隊への航空支援による優位の確立などが挙げられる。

この思想の初期の提唱者としては、イタリアのジュリオ・ドーエ、イギリスのヒュー・トレンチャード、アメリカのビリー・ミッチェルなどが知られている。彼らは、航空機が国境を越えて敵国の心臓部に直接打撃を与える能力を持つことから、航空戦力こそが未来の戦争の主役となると予見した。特にドーエは、著書『制空』(原題『制空権』)において、独立した航空軍の創設と、敵国民の士気を挫くための無差別爆撃の有効性を説いた。

歴史[編集]

第一次世界大戦期[編集]

第一次世界大戦において、航空機は主に偵察、観測、連絡といった補助的な役割を担っていた。しかし、大戦末期には爆撃機戦闘機が登場し、限定的ながらも航空戦力が戦局に影響を与え始める。この経験が、戦後の航空主兵主義の萌芽となる。

戦間期[編集]

第一次世界大戦後、各国の軍事理論家たちは、航空戦力の将来的な可能性について考察を深めた。ドーエ、トレンチャード、ミッチェルらは、来るべき戦争では航空戦力が中心となると主張し、独立した空軍の創設や航空戦力の拡充を提唱した。しかし、当時の軍部は、依然として陸軍や海軍が主流であり、航空主兵主義は必ずしも主流とはならなかった。特にワシントン海軍軍縮条約ロンドン海軍軍縮条約による戦艦建造制限は、航空母艦の重要性を相対的に高めるきっかけとなり、海軍航空隊の発展を促した。

第二次世界大戦期[編集]

第二次世界大戦において、航空主兵主義は実践的な検証の機会を得た。ドイツ空軍電撃戦における地上支援、イギリス空軍によるバトル・オブ・ブリテンでの防空、アメリカ陸軍航空軍による戦略爆撃、そして大日本帝国海軍航空隊による真珠湾攻撃ミッドウェー海戦における航空母艦を基軸とした作戦などが、航空戦力の決定的な役割を示す事例として挙げられる。特に、アメリカによる日本本土空襲原子爆弾投下は、戦略爆撃が戦争終結に直接的な影響を与えうることを示した。しかし、一方で、戦略爆撃が必ずしも敵の継戦能力や士気を完全に破壊できなかった事例も存在し、航空主兵主義の限界も露呈した。

冷戦期以降[編集]

第二次世界大戦後、核兵器の登場により、航空主兵主義は新たな局面を迎える。戦略爆撃機による核攻撃は、敵国に壊滅的な打撃を与える可能性を秘め、冷戦期の核抑止戦略の根幹をなした。また、ジェット機の発達、ミサイル技術の進歩、そして宇宙空間の軍事利用の開始などにより、航空戦力はますます多様化し、その役割は拡大していった。現代においても、制空権の確保はあらゆる軍事作戦の前提とされ、ステルス機無人航空機UAV)などの新技術が航空優勢の追求に寄与している。

批判と限界[編集]

航空主兵主義は、その有効性が実証された一方で、様々な批判も受けてきた。主な批判点としては、以下のような点が挙げられる。

  • 対空兵器の発達により、航空機の脆弱性が増したこと。
  • 爆撃の精度や効果には限界があり、必ずしも期待通りの戦果が得られないこと。
  • 敵国の継戦能力や士気は、航空攻撃だけで完全に破壊できるとは限らないこと。
  • 航空戦力単独では、占領安定化といった目標を達成できないこと。

これらの批判は、航空主兵主義が万能ではないことを示しており、陸海空の各戦力が連携する統合運用の重要性が認識されるきっかけとなった。

豆知識[編集]

  • 航空主兵主義の提唱者の一人であるビリー・ミッチェルは、航空機の重要性を訴え続けたために軍法会議にかけられ、最終的には軍を追われた。彼の予見の多くは後に現実のものとなり、彼の評価は死後に大きく高まった。
  • 航空主兵主義が提唱された初期には、航空機が「戦争を終結させる唯一の手段」とまで主張されることもあった。

関連項目[編集]