祥鳳型航空母艦

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祥鳳型航空母艦(しょうほうかたこうくうぼかん)は、大日本帝国海軍太平洋戦争中に運用した航空母艦の艦級である。元々は給油艦剣崎」と「高崎」(後の祥鳳瑞鳳)として計画・建造されていたが、ロンドン海軍軍縮条約による航空母艦の保有制限を回避するため、有事には短期間で航空母艦に改装できるよう設計された特務艦として建造された。

概要[編集]

祥鳳型航空母艦は、1934年度(昭和9年度)の第二次海軍軍備充実計画(通称「マル2計画」)により計画された給油艦であり、必要に応じて短期間で航空母艦に改装できるよう、あらかじめそのための艤装が施されていた点が最大の特徴である。この設計思想は、ワシントン海軍軍縮条約、およびロンドン海軍軍縮条約によって課せられた航空母艦の保有制限に対する大日本帝国海軍の苦肉の策であった。

元々、祥鳳型は速力20ノット程度の補給艦として設計されたが、急遽航空母艦への改装が決定したため、機関の換装、格納庫の設置、飛行甲板の増設など、大幅な改設計が行われた。このため、当初の建造費は大きく膨らんだ。

祥鳳型は、翔鶴型飛龍型といった本格的な正規空母と比較すると、速力、搭載機数、防御力ともに劣っていたが、短期間で航空母艦を増勢する必要があった戦時には貴重な存在となった。

同型艦[編集]

運用[編集]

祥鳳型は、その生い立ちから、当初は補助空母的な性格が強かった。しかし、太平洋戦争が始まると、正規空母の損耗に伴い、主力空母の一角として運用される機会が増加した。

祥鳳はミッドウェー作戦におけるMO作戦ポートモレスビー攻略作戦)の支援のため、MO攻略部隊に属して珊瑚海に進出した。しかし、1942年5月7日アメリカ海軍の空母「レキシントン」および「ヨークタウン」から発進した艦載機の攻撃を受け、沈没した。これは、太平洋戦争において帝国海軍が失った最初の航空母艦となった。

瑞鳳は、祥鳳沈没後も引き続き機動部隊に属し、ガダルカナル島の戦い南太平洋海戦マリアナ沖海戦など、数々の激戦に参加した。特に南太平洋海戦では、空母「翔鶴」の被害に伴い、残存艦載機を収容するなど、重要な役割を果たした。しかし、1944年10月25日レイテ沖海戦エンガノ岬沖海戦)において、小沢治三郎中将率いる囮部隊の一員として敵機動部隊を誘引する役割を担い、アメリカ海軍の猛攻を受け沈没した。

特徴[編集]

祥鳳型の特徴は、以下の点に集約される。

  • 改装前提の設計:当初から航空母艦への改装を前提として設計されており、短期間で正規空母としての運用が可能であった。これは、有事における艦隊戦力増強の柔軟性をもたらした。
  • 中型空母としての役割:大型正規空母に比べて速力や搭載機数、防御力では劣るものの、偵察、哨戒、近接航空支援など、多様な任務に対応できる中型空母としての役割を担った。
  • 給油艦からの転用条約の制限を回避するための転用であり、設計上の制約も大きかった。

豆知識[編集]

  • 祥鳳型航空母艦は、建造当初は「給油艦」という名目でしたが、その実態は有事の際に航空母艦に「化ける」ことができるよう、最初から設計段階でそのための準備がなされていた特殊な艦でした。
  • 祥鳳が沈没した珊瑚海海戦は、航空母艦同士が直接交戦することなく、互いの艦載機のみで戦闘が行われた史上初の海戦として知られています。
  • 瑞鳳は、帝国海軍の空母の中で、比較的長く生き残った艦の一つであり、数多くの激戦を経験しました。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 海人社『世界の艦船 増刊第67集 日本航空母艦史』(増刊第67集)海人社、2006年。
  • 光人社NF文庫『図解 日本帝国海軍全艦船1940-1945』(光人社NF文庫)光人社、2004年。