永福寺 (杉並区)

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永福寺 (杉並区) (えいふくじ)は、室町時代に創建された東京都杉並区に所在する曹洞宗の寺院である。

概要[編集]

寺伝によれば、創建は室町時代1522年大永2年)とされる。永福寺村(現永福町)の村名は永福寺に由来する。開山は秀天慶実と伝わる。1669年(永禄2年)に北条氏康が作成した「小田原衆所領役帳[1]に永福寺がみえる。島津孫四郎の所領として「廿貫文 中之部品川筋永福寺」とある。島津孫四郎は江戸衆の一人で浮役寄合衆である。寺伝では安藤兵部丞、式部(丞)などの一族が、小田原城落城後に、当寺の住職(3世建正存朔大和尚)を頼って移住し、村の開拓に努めたとされる[2]1593年文禄2年)、1738年元文3年)、1945年昭和20年)空襲による全焼と三度の被災にあうが、1588年天正16年)の「検地書出」(太閤検地)など、20数点の古文書が残るという。 本尊は十一面観音像(非公開)で、脇侍の不動明王毘沙門天両像とともに、鎌倉期の仏師・快慶作とされるが、確証はない。 杉並区内最古の庚申塔として、1646年(正保三年)造立の五輪庚申供養塔が寺の前にある。五輪塔形式の庚申塔には「養福寺」と刻まれているのは、かつて「ようふくじ」と称されていた名残であろう。

  • 名称 永福寺
  • 山号 萬歳山永福寺
  • 宗派 曹洞宗
  • 本尊 十一面観音像
  • 所在地 東京都杉並区永福1丁目25番2号

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  1. 小田原衆所領役帳国立公文書館
  2. 天正十八年小田原の家人安藤式部と云もの、主従七人相州大住郡より来り、永福寺を再興し土地をも開墾せし、されど証すべきものなく、唯土人の口碑に伝ふるのみ(「新編武蔵風土記稿」)