東急7200系電車

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東急7200系電車(とうきゅう7200けいでんしゃ)とは、東急電鉄が運用していた通勤形電車である。全53両が製造された。

概要[編集]

7000系をベースに、導入・保守両コストの低減を目的として7000系の全電動車から設計を変更し、付随車を適宜挿入してMT比を1対1の経済編成に対応させた車両で地下鉄乗り入れを前提としていない。

2000年(平成12年)の目蒲線の系統分割に伴い東急での運用を終了して廃車となったが、全幅が2.74m、全長が18m級と手頃なサイズであることから、多くの車両が地方私鉄へと譲渡された。

構造[編集]

車体

ベースとなった7000系同様の片側3扉・18m級オールステンレス車体を持ち、正面はダイヤモンドカットと呼ばれるくの字型に上下左右に折れ曲がった特徴的なデザインとなっている。

連結面の貫通路は広幅で、運転台側と連結させる際は連結面側の貫通路に幅を狭めるアダプタを設置して対応していた。

構造

制御装置のメーカーの違いで車番が分けられ、車番の下2桁が50番台の車両は東洋電機製造製の機器、それ以外の車両は日立製作所製の機器を搭載する。

制御方式は抵抗制御で出力110kwの複巻電動機を制御する。回生ブレーキが使用可能。電動車は1M方式で、経済的な編成を組成可能としている。

形式[編集]

デハ7200
渋谷方の制御電動車。
デハ7300
中間電動車。製造当初は電動発電機・空気圧縮機を搭載していなかったが、後に搭載が行われた。
デハ7400
中間電動車。デハ7300との違いは製造当初から電動発電機・空気圧縮機を搭載していた点。
クハ7500
桜木町方の制御付随車。

アルミ試作車[編集]

1967年(昭和42年)に東急車輛製造がアルミ車製作技術習得のため、デハ7200・クハ7500の2両がアルミ合金製車体で製造された。当初は他の7200系と共通運用されていたが、1980年(昭和55年)から10年ほどはこどもの国線専用車として運用された。

後に事業用車へと転用され、中間に軌道検測車のサヤ7590形を挟んで軌道検測を行ったり、ATCを搭載しない多摩川線池上線車両の牽引車としても活躍した。
なお界磁制御器が撤去されているため、回生ブレーキは使用できず、中速域以上の加速能力も悪くなった。

地方私鉄への譲渡車[編集]

全幅が2.74m、全長が18m級と手頃なサイズであることから、東急電鉄で引き続き活用することが決まっていた11両を除く42両が地方私鉄へと譲渡された。

上田交通(上田電鉄)

詳細は「上田交通7200系電車」を参照

デハ7200形・クハ7500形各5両の合計10両が譲渡された。
後に上田電鉄へと引き継がれて2両編成を組んで運用されていたが、2018年までに引退。豊橋鉄道東急車輛製造へ2両ずつ再譲渡された。

豊橋鉄道

詳細は「豊橋鉄道1800系電車 (2代)」を参照

デハ7200形15両・デハ7300形3両・デハ7400形3両・クハ7500形9両の計30両が譲渡された。3両編成9本を組み、デハ7200形3両が部品取りとされたが、高師駅構内の車両基地火災で営業用車両2両が使用不能となり、部品取り車から2両を再整備して復帰させた。なお残りの部品取り1両も上田電鉄からの譲渡車と編成を組む形で営業に復帰した。

十和田観光電鉄→大井川鐡道

デハ7200形2両が両運転台化されて譲渡された。増設運転台は切妻形となっている。2012年の十和田観光電鉄線の廃線に伴い、2014年に大井川鐵道へ再譲渡された。