日本三大ラーメン

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日本三大ラーメン(にほんさんだいラーメン)、日本三大ご当地ラーメン(にほんさんだいごとうちラーメン)とは、日本全国各地に約200種類あるともいわれるご当地ラーメンの中でも、基本中の基本であり、ご当地ラーメンを語る上では絶対に欠かすことの出来ないとされる3つのラーメンである[1][2]

以下の3つとされ[1][2]、いずれも屋台を発祥とするラーメンである[2]

札幌ラーメン[編集]

札幌ラーメン(さっぽろラーメン)は北海道のご当地ラーメン。

味噌ラーメンが知られるが、味噌以外もある[1]

1922年(大正11年)に創業した中華料理店「家食堂」では手延べ麺を用いた中華料理の「肉絲麺」を提供していたが、東京の「中華そば」にあやかって醤油味のラーメンを提供するようになった[1]。この時に「ラーメン」の語が初めて使用されたともされる[1]

1955年(昭和30年)に「味の三平」が味噌ラーメンを開発し、製麺所の「西山製麺」からは味噌ラーメンに合わせた熟成麺を開発した[1]。1960年代になると、日本各地のデパートでの催事やチェーン店「どさん子ラーメン」の全国展開、サンヨー食品のインスタントラーメン「サッポロ一番みそラーメン」がヒットしたことで、「札幌ラーメン=味噌ラーメン」という認知が日本全国に広まった[1]

博多ラーメン[編集]

博多ラーメン(はかたラーメン)は福岡県福岡市のご当地ラーメン[1]豚骨ラーメンで知られる[1]

福岡市には同じく豚骨ラーメンの長浜ラーメンもあり、博多ラーメンは長浜ラーメンの文化を受けながらも異なるラーメンとされる[1][2]

1946年(昭和21年)うどん屋台を営んでいた山平進天ぷら屋台を引いていた津田茂の2人は、津田が第二次世界大戦中に中国の奉天(現・中華人民共和国瀋陽市)で出逢った豚骨スープをヒントにスープを作り、山平が平打ちの麺を作って、屋台で提供するようになった[1]。のちに山平が「博龍軒」を、津田が「赤のれん」をそれぞれ創業することになり、博多に豚骨ラーメン店が生まれた[1][2]

このように、当初の博多ラーメンは平打ち麺であったが、長浜ラーメンの特徴である「替え玉」「細麺」などを吸収しながら、博多ラーメンは進化を遂げていった[1]

博多一風堂」「一蘭」「博多だるま」「博多一幸舎」といった人気店は、日本国外への進出している[1]

喜多方ラーメン[編集]

喜多方ラーメン(きたかたラーメン)は、福島県喜多方市のご当地ラーメン[1]

喜多方市は人口5万人ほどであるが、約120軒のラーメン店がある[1]

1927年(昭和2年)創業の屋台「源来軒」で売られていた手打ち麺の「支那そば」が人気を博し、ここから喜多方ラーメンの歴史が始まる[1]

「源来軒」の潘 欽星ばん きんせいは、平たくて太い縮れ麺を用い、麺やスープのレシピを秘伝とせず広めたため、弟子は100人とも言われている[2]

満州から引き揚げ者である長島ハルは「上海食堂」を開店し、母親が好んだ上海料理をベースとした塩味ラーメンを提供し、これが好評だった[2]。その上海食堂の店員だった坂内新吾1958年に独立して「坂内食堂」を開業し、豚骨ダシを基本とし、隠し味に醤油を少し加えた上海食堂仕込みの塩味ラーメンを提供する。

「満古登(まこと)食堂」の初代・佐藤ウメは醤油の醸造元と相談して作った特注の醤油をベースに、煮干と豚骨でだしをとる「支那そば」を作り、こちらが喜多方の醤油ラーメンの基本となる[2]

塩味の「坂内」と醤油味の「満古登」は、喜多方ラーメンブームの火付け役ともなった[2]

これに加え、喜多方ラーメンで使用される平たくて太い縮れ麺を量産する製麺機を考案した蓮沼季吉の功績もある[2]

「喜多方の蔵」が注目されるようになると蔵を観光するために喜多方を訪れた人たちがラーメンを食するようになった[2]。喜多方市役所も積極的に喜多方のラーメンをPRするようになり、日本の「ご当地ラーメン」ブームの火付け役ともなった[1][2]

脚注[編集]

  1. a b c d e f g h i j k l m n o p q r 山路力也 (2024年10月13日). “札幌味噌と博多豚骨ともう一つは? 今さら聞けないご当地ラーメンの秘密”. Yahoo!ニュース. 2026年3月29日確認。
  2. a b c d e f g h i j k l あやみ. “【日本三大ラーメン】福岡「博多」・北海道「札幌」・福島「喜多方」の特徴と共通点は?”. TABIZINE. 2026年3月29日確認。