源来軒

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源来軒(げんらいけん)は、福島県喜多方市に在ったラーメン[1][2]1924年に創業し、2025年9月24日に営業を終了した[1]喜多方ラーメンの原点のひとつとされる店であり、町の象徴でもあった[1]

喜多方市は「蔵の街」として知られるが、昭和の時代には観光資源に乏しい小さな地方都市でしかなかった[1]。町ぐるみで蔵とラーメンを観光の二本柱として「ラーメンの町」を掲げ、PRに力を注いだ戦略が大きく功を奏し、1990年代には「喜多方ラーメン」という言葉が日本中に浸透して行った[1]

しかしながら、後継者不足、観光構造の変化、消費者の味覚の多様化とが重なり、かつて45店舗あった「蔵のまち喜多方老麺会」の加盟店は数を減らして行き、2020年代には名だたる店が暖簾を下ろした[1]。「源来軒」の閉店も、この流れの末にある[1]

歴史[編集]

中国・浙江省から日本へ来た潘 欽星ばん きんせいは、長崎や横浜で働いた後に加納鉱山で働く叔父を頼って喜多方へとやって来たが、職を得ることができず、1924年(大正13年)に中華そばを屋台で売り始めた[3]。故郷の味を思い出しながら、独学で研究を重ね、後に源来軒を開業する[3]

源来軒の麺は、水分をたっぷりと含ませてからじっくりと寝かせる「平打ち熟成多加水麺」であり、潘が開発した製法でもある[3]。潘はレシピを教えることをいとわず、多くの弟子を育てた[3]。源来軒の麺の製法を手本とした製麺所も誕生した[3]。この平打ち熟成多加水麺を使用することも喜多方ラーメンの特徴となっている[3]

2023年、2代目店主として腕を振るっていた星欽二が死去する。店は欽二の長女である近重幸代が継いだが、欽二からは「店の味を守れなくなったら店を閉めてほしい」とも遺言されていた[4]。調理は近重の叔父が担っていたが、その叔父も高齢化の問題があって後継者を探していたが、父や叔父と同じ熱量、覚悟を持って店を続ける作りては見つけられず、臨時休業となった[4]。さらに原材料を吟味した伝統の製法は、原価率の高さを招くため継続も困難であり、閉店の発表となった。

歴代店主[編集]

  1. 潘欽星[4]
  2. 星欽二[4] - 欽星の息子。
  3. 近重幸代 - 欽二の長女[4]

脚注[編集]

  1. a b c d e f g 井手隊長 (2025年10月11日). “ファン多き喜多方ラーメン「源来軒」が101年の歴史に幕、元店主に救われた男があえて挑む"引き算の味"と地域文化の再生劇”. 東洋経済ONLINE. p. 1. 2026年4月5日確認。
  2. 「全国6地域ご当地ラーメンガイド 喜多方ラーメン」、『モトツーリング』2017年3月号、内外出版社、 7頁。
  3. a b c d e f 福島・会津「喜多方ラーメン」:朝ラー文化が根付く“蔵のまち”で、御三家の味を堪能”. nippon.com (2021年12月19日). 2026年4月5日確認。
  4. a b c d e “創業101年、福島県の喜多方ラーメン元祖 「源来軒」歴史に幕 後継者見つからず”. 福島民報. (2025年9月25日. https://www.minpo.jp/articles/-/52641 2026年4月5日閲覧。