影山正治

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影山 正治(かげやま まさはる、1910年6月12日 - 1979年5月25日)は、国家主義者、歌人。大東塾塾長、不二歌道会主宰。

人物[編集]

  • 鈴木邦男によると、鈴木は学生時代に生長の家は粗暴な「右翼」とは別物だと思っていたが、中村武彦、影山正治、葦津珍彦の3人だけは別格で生長の家の勉強会や合宿などに特別講師として招かれていたという。生学連の練成会で影山の『維新者の信條』や『一つの戦史』は谷口雅春の本とともに熱心に読まれていたという[1]
  • 右翼では少数派ながら葦津珍彦や影山正治らは60年安保に反対を表明していた[2]。影山は樺美智子の死に際し「樺美智子さんの死に対しては、心から哀悼の言葉をのべたい。私は彼女こそ、日本のためになくなった愛国者だと思う。こういう人が私達右翼陣営から出なかったことを残念に思う。」と述べた[3]
  • 三島由紀夫の小説『豊饒の海 第二巻 奔馬』(新潮社、1969年)の主人公・飯沼勲のモデル[4]

出典[編集]

  1. 鈴木邦男『右翼は言論の敵か』ちくま新書、2009年、143頁
  2. 松本健一『思想としての右翼 新装版』論創社、2007年、71頁
  3. 松本健一『思想としての右翼 新装版』論創社、2007年、57頁
  4. 鈴木邦男『右翼は言論の敵か』ちくま新書、2009年、151頁

関連項目[編集]