大社線の歴史
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本ページは、かつて西日本旅客鉄道が所有し、島根県で営業していた大社線(たいしゃせん)の歴史について記述する。
開業の背景[編集]
大社線は、山陰本線出雲市駅より大社駅までの営業キロ7.5kmの山陰本線の支線である。
出雲大社のあった簸川郡杵築町は門前町として栄えた。明治期にこの地でも近代鉄道交通を無視できない状態になり、今市町(現・出雲市中心部)から杵築町の出雲大社旧参道外れの大社駅まで、1912年(明治45年)に開通。当時は山陰本線だった。翌1913年、山陰本線は出雲今市駅から分岐して小田駅に向かうルートで開業し、この時点で支線化した。一方、鉄道建設に当たっては、大社駅を途中駅として、海岸沿いに湖陵町に至るルートが構想されたが、杵築町が通過地になることを恐れ、通過ルートを見直すことを要求(但し、忌避伝説説もある)して、支線化を選択したとされている。
沿革[編集]
- 1912年6月1日 - 開業
- 1935年3月 - 大阪駅と大社駅を結ぶ昼行急行列車を運転開始。
- 1982年7月1日 - 名古屋駅からの急行「大社」(下りのみ)の乗り入れが無くなる。
- 昭和60年3月14日日本国有鉄道ダイヤ改正 - 大阪駅からの急行だいせんの乗り入れがなくなる。定期列車は普通列車の線内運転のみとなる。
- 1987年4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道の所有となる。
- 1990年3月31日 - 第三次特定地方交通線として廃止される。
運用[編集]
昭和43年10月1日日本国有鉄道ダイヤ改正では定期普通列車は18往復が設定されており、うち、下り5本、上り4本に一等車が連結されていた。 1977年10月号の国鉄監修交通公社の時刻表では15往復の普通列車が運転されていたが、内6往復にはグリーン車が営業されていた。さらにそのうち3往復が山陰本線に急行列車として直通運転していた。廃線間近には15往復の普通列車が運転されていた。
キロ数 | 駅名 | 231D | 233D | 121 |
---|---|---|---|---|
始発 | 宍道駅0510 | 米子駅0500 | 大阪駅2125 | |
0.0 | 出雲市駅発 | 0556 | 0643 | 0701 |
3.5 | 出雲高松駅発 | 0601 | 0648 | 0708 |
5.0 | 荒茅駅発 | 0605 | 0651 | ↓ |
7.5 | 大社駅着 | 0610 | 0655 | 0715 |
廃止[編集]
第三次特定地方交通線に指定され、1990年3月31日に廃止され、バス転換された。寺社建築である終着駅の大社駅は用途廃止後も解体されずに保存された。