増沢末夫
| 増沢 末夫 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 |
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| 出身地 | 北海道亀田郡大野村 |
| 生年月日 | 1937年(昭和12年)10月20日 |
| 騎手情報 | |
| 所属団体 | 日本中央競馬会 |
| 所属厩舎 |
鈴木勝太郎(1954年 - 1990年) →鈴木康弘(1991年 - 引退) |
| 初免許年 | 1957年(昭和32年) |
| 騎手引退日 | 1992年(平成4年) |
| 重賞勝利 | 84勝 |
| G1級勝利 | 8勝 |
増沢 末夫 (ますざわ すえお、1937年10月20日 - ) は日本中央競馬会に所属していた騎手・調教師。愛称はまっさん。
戸籍上の表記は増澤末夫だが、JRAは旧字体での登録を認めていないため、新字体に修正して登録している。
経歴[編集]
幼少期より農耕・ばんえい競走用のペルシュロンの世話をして過ごし、中学校卒業後騎手を志す。同級生の兄で騎手の竹部鈴雄より、鈴木勝太郎調教師を紹介され、そのまま入門。1955年(昭和30年)より馬事公苑騎手養成長期課程を受講し、修了後の1957年(昭和32年)3月10日にデビューする。
デビュー10年後の1967年(昭和42年)、東京優駿でアサデンコウに騎乗して勝利し、重賞初勝利とダービージョッキー制覇を果たす。地方から中央へ移籍してきたハイセイコーの主戦騎手を務め、ハイセイコー引退時に発表された楽曲『さらばハイセイコー』を歌唱した。
1977年(昭和52年)は年間40勝を達成し初の関東リーディングジョッキーを達成。81年は96勝と勝利数をさらに伸ばして初の全国リーディングを達成した。1984年(昭和59年)10月に通算1340勝を達成し、野平祐二が保持していた中央競馬最多勝利記録を更新した。
1991年(平成3年)に中央競馬史上初の通算2000勝ジョッキーとなるが、義弟で調教助手を務めていた鈴木俊彦が落馬で死去したこともあって家族から騎手を続けることに対して反対され、引退を決断。1992年(平成4年)2月に引退した。騎手としての通算勝利数は12780戦2016勝。
引退後は調教師に転身し、開業初年度に重賞制覇を達成するなどしたが中央GI勝利には恵まれなかった。しかし管理馬のストロングブラッドが交流GI競走のかしわ記念を勝利している。
親族[編集]
妻は師匠・鈴木勝太郎の長女。義弟は調教師の鈴木康弘と前述の落馬事故で死去した調教助手の鈴木俊彦。
息子の真樹は調教助手で、中央競馬初の女性騎手の一人の牧原由貴子は義理の娘。