日本海軍 特設水上機母艦 國川丸
國川丸(くにかわまる)は、日本郵船が運用した貨客船で、太平洋戦争(大東亜戦争)中に大日本帝国海軍に特設水上機母艦として徴用された。同型船に神川丸、聖川丸、君川丸(いずれも特設水上機母艦)がある。
概要[編集]
國川丸は、1938年(昭和13年)に川崎重工業神戸造船所で竣工した貨客船である。竣工後は主にニューヨーク航路に就航していた。
1940年(昭和15年)9月、日中戦争の激化に伴い、日本海軍に徴用され、特設水上機母艦として類別された。これは、有事における航空兵力の支援、偵察、哨戒活動を目的としたものであった。水上機を搭載・運用するための設備として、広大な飛行甲板、クレーン、燃料タンクなどが艤装された。
艦歴[編集]
特設水上機母艦として就役後、國川丸は中国方面での作戦に従事した。日中戦争では、華南方面の沿岸哨戒や偵察活動に投入された。
太平洋戦争開戦後は、主に南東方面へ進出し、ニューギニア島方面やソロモン諸島方面で航空機の基地として活動した。ラバウルやショートランド泊地を拠点に、水上偵察機による哨戒、敵艦隊の索敵、爆撃機への着弾観測支援など多岐にわたる任務を遂行した。
1942年(昭和17年)の珊瑚海海戦やミッドウェー海戦では、直接戦闘には参加しなかったものの、これらの海域周辺で偵察任務に就いていた可能性がある。特にガダルカナル島の戦いにおいては、激戦地での航空支援に貢献し、多くの水上機を発着させた。同島周辺海域では、米軍の激しい航空攻撃や潜水艦の脅威に晒されながらも、補給任務や負傷兵の輸送も行ったとされる。
その後も、ニューギニア北岸での行動や、フィリピン方面への転進が繰り返された。しかし、戦局の悪化に伴い、制空権は次第に連合国側に奪われていった。
1944年(昭和19年)9月26日、國川丸はルソン島西岸沖、リンガエン湾付近を航行中、アメリカ海軍の潜水艦シーライオンの雷撃を受け、沈没した。これにより、特設水上機母艦としての艦歴を閉じた。
特徴[編集]
國川丸は、その出自が貨客船であったため、軍艦として建造された水上機母艦と比較して、以下の特徴を持っていた。
- 居住性:貨客船としての設計から、乗員の居住スペースは比較的良好であったと推測される。
- 速力:貨客船としては標準的な速力であったが、軍用艦としてはやや低速であったため、敵潜水艦や航空機に対する脆弱性があった。
- 武装:当初は限定的な自衛武装しか持たなかったが、戦況の悪化に伴い、対空武装などが強化されていったと考えられる。
これらの特徴は、帝国海軍が戦時に民間船舶を大量に徴用し、様々な任務に就かせた実情をよく示している。
豆知識[編集]
- 國川丸は、その姉妹船である神川丸、聖川丸、君川丸と共に、「川崎汽船の「川」の字を冠した船団」として知られていました。実際には日本郵船の船であり、神川丸、聖川丸、君川丸も川崎重工業で建造されたものの、川崎汽船とは直接の関係はありません。この呼称は、おそらくその建造元に由来する誤解であったと考えられます。
- 貨客船として建造されたため、船内には高級感のある内装が施されており、徴用後も一部はその面影を残していたと言われています。