国学
国学(こくがく)は、主に江戸時代中期から明治時代初期にかけて、日本の古典を研究対象として発達した学問である。儒教・仏教といった外来思想の影響を受ける以前の「古(いにしえ)」の日本に存在した固有の精神や文化を解明しようとする志向を持っていた。その研究は、和歌、神道、歴史学、文学、言語学など多岐にわたる。
概要[編集]
国学は、儒教的価値観や仏教的世界観が社会の規範となっていた江戸時代において、これら外来思想によって歪められたと見なされた日本固有の思想や精神を、古典研究を通じて再発見しようとした学問潮流である。その目的は、中国やインドの思想を日本の実情に合わないものとして批判し、日本の「真の姿」を明らかにすることにあった。
初期の国学は、主に歌学や古典文学の研究から始まったが、次第に日本書紀や古事記といった神話・歴史書、さらには古代の風俗や制度にまで研究対象を広げた。特に本居宣長によって大成され、その思想は後の明治維新における尊王攘夷運動にも大きな影響を与えたとされる。
歴史[編集]
国学の萌芽は、江戸時代初期の儒学者や歌人たちの間で、日本の古典に対する関心が高まったことに見られる。
- 前史
- 国学四大人
国学を学問として確立・発展させた人物として、「国学四大人(こくがくしだいじん)」が挙げられる。
- 荷田春満(かだのあずままろ):京都の伏見稲荷大社の神官の家に生まれ、古典研究を通じて日本の「古道(いにしえのみち)」の復興を提唱した。門弟に賀茂真淵がいる。
- 賀茂真淵(かもまぶち):『万葉集』の研究を深め、「ますらをぶり」という概念を提唱し、古代日本の雄々しい精神を賛美した。彼の門下からは多くの国学者が育ち、国学の発展に大きく貢献した。
- 本居宣長(もとおりのりなが):『古事記』の綿密な考証を行い、『古事記伝』を著して国学を大成した。彼は「もののあはれ」という独自の文学理論を打ち立て、儒教的な「漢意(からごころ)」を批判し、日本人固有の「大和心(やまとごころ)」の重要性を説いた。
- 平田篤胤(ひらたあつたね):宣長の没後にその門下に入ったとされるが、実際に直接師事した期間は短い。宣長の学説をさらに発展させ、復古神道を確立した。現世だけでなく死後の世界にも言及し、その思想は幕末の尊王論に大きな影響を与えた。
- 幕末から明治維新期
国学の思想は、幕末の政治運動と結びつき、尊王攘夷運動の思想的基盤の一つとなった。水戸学などとも相互に影響を与え合い、明治維新の原動力となった側面がある。しかし、明治政府が樹立され、神道国教化が進む中で、国学は次第にその学問的独自性を失い、皇国史観や国家神道と密接に結びついていった。
研究内容[編集]
国学の研究対象は多岐にわたるが、特に以下の分野が重視された。
- 古典文献学:『万葉集』、『古事記』、『日本書紀』、『源氏物語』などの日本の古典を、儒教や仏教の教義に囚われずに、実証的な方法で解読・研究した。特に訓読の重要性が認識された。
- 言語学:古代日本語の語彙や文法、音韻の研究を行った。これは古典文献の正確な理解に不可欠であった。
- 神道学:記紀神話を研究し、日本の神々や古代の信仰、儀礼のあり方を考察した。儒教や仏教伝来以前の「古道」を明らかにしようとした。
- 歴史学:『古事記』や『日本書紀』に基づいて、日本の古代史、特に皇室の起源や神代の出来事について独自の歴史観を形成した。
思想[編集]
国学の根本的な思想は、「漢意」(からごころ)と「大和心」(やまとごころ)の対立という形で表現されることが多い。「漢意」とは、中国伝来の儒教や仏教といった思想によって形成された人工的な概念や道徳観を指し、「大和心」とは、それら外来思想に汚される以前の、日本固有の素朴で自然な感情や精神を指す。国学者は、この「大和心」こそが日本人の本来の姿であり、それを古典を通じて回復しようと試みた。
また、本居宣長の「もののあはれ」の思想も国学の重要な要素である。「もののあはれ」とは、自然や人生の無常、人の情などを深く感じ入る心情を指し、宣長はこれを日本人固有の繊細な美意識として捉えた。
後世への影響[編集]
国学は、その後の日本の思想や学問に大きな影響を与えた。
- 政治思想:幕末の尊王攘夷運動の思想的支柱の一つとなり、明治維新における天皇中心主義の確立に寄与した。
- 文学研究:日本の古典文学研究の基礎を築き、近現代の国文学研究にも影響を与えた。
- 言語研究:日本語の歴史や構造に関する研究を進め、後の日本語学の発展に貢献した。
- 神道:復古神道を確立し、国家神道の形成に大きな影響を与えた。
一方で、国学が持つ排他的なナショナリズムの側面は、大東亜戦争期における皇国史観の形成や、他国を排斥する思想の根拠として利用されたという批判もある。
豆知識[編集]
- 「国学」という言葉は、江戸時代中期には必ずしも一般的に使われていたわけではなく、彼らは自分たちの学問を「古学」「古道」「皇朝学」などと呼ぶこともありました。
- 国学の徒は、中国伝来の漢字の読み方である「音読み」を避け、大和言葉に基づく「訓読み」を重視しました。これは、日本の言葉の本来の響きを大切にする思想の表れです。
関連項目[編集]
参考文献[編集]
- 芳賀登『国学の思想』ぺりかん社、2006年。ISBN 978-4831511475
- 子安宣邦『国学の歴史思想』岩波書店、2010年。ISBN 978-4004312891
- 田中康裕『本居宣長』講談社現代新書、2014年。ISBN 978-4062882898