万葉集
万葉集(まんようしゅう)は、日本に現存する最古の和歌集である。7世紀後半から8世紀後半にかけて詠まれたとされる約4,500首の歌が収められており、成立は8世紀後半と考えられている。当時の天皇・皇族から防人・農民に至るまで、幅広い身分の人々の歌が採録されており、当時の社会状況や人々の心情を知る上で貴重な資料となっている。
概要[編集]
万葉集は、全20巻から構成され、その内容は多岐にわたる。歌の形式は主に短歌(五七五七七)であるが、長歌(五七五七…七)や旋頭歌(五七七五七七)なども見られる。成立については諸説あるが、大伴家持(おおとものやかもち)が編纂の中心になったと考えられている。
歌の内容は、恋愛、家族、自然、旅、政治、社会問題など多岐にわたり、当時の人々の生活や思想を生き生きと伝えている。また、枕詞(まくらことば)や序詞(じょことば)といった修辞技法が多用されており、歌に深みを与えている。
万葉集の大きな特徴として、漢字を日本語の音訓に当てはめて表記する万葉仮名(まんようがな)が用いられている点が挙げられる。これにより、当時の日本語の発音を推測する上で重要な手がかりとなっている。
成立[編集]
万葉集の成立については、確定的な年代は不明だが、一般的には8世紀後半に成立したと考えられている。複数の編纂者が関わったとされ、その中でも大伴家持が中心的な役割を担ったとする説が有力である。彼は自身の作品だけでなく、それ以前の歌も収集・整理し、編纂に貢献したと見られている。
編纂の背景には、律令国家の成立に伴う文化的な成熟や、漢字文化の受容、そして和歌という文学形式の確立があったとされる。万葉集に収められた歌の中には、奈良時代以前、飛鳥時代やさらにさかのぼる時代の歌も含まれており、長い時間をかけて歌が集められていったことが伺える。
内容と歌風[編集]
万葉集は全20巻からなり、巻ごとに歌の内容や歌人が分類されている。
- 巻第一・第二:雑歌(ぞうか)、相聞歌(そうもんか)、挽歌(ばんか)など、様々な歌が混在する。特に、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の長歌や反歌が多く収められている。
- 巻第三:草枕歌(くさまくらのか)として旅の歌が中心。
- 巻第四:相聞歌が中心で、恋愛感情を詠んだ歌が多い。
- 巻第五:譬喩歌(ひゆか)、正述心緒歌(ただごころをのぶるうた)など、比喩を用いた歌や心情を直接表現した歌が多い。
- 巻第六:雑歌。
- 巻第七:雑歌。
- 巻第八:秋雑歌、夏雑歌など、四季の歌が中心。
- 巻第九:挽歌、羈旅歌(きりょか)など、葬送の歌や旅の歌が多い。
- 巻第十:春雑歌、夏雑歌など、四季の歌が中心。
- 巻第十一・第十二:相聞歌が中心で、恋愛歌が多い。
- 巻第十三:雑歌。
- 巻第十四:東歌(あずまうた)が中心で、東国の民衆の歌が多い。素朴で力強い歌風が特徴。
- 巻第十五:防人歌(さきもりうた)が中心で、防人として徴用された兵士たちの歌が多い。故郷への思いや家族との別れを歌ったものが多い。
- 巻第十六:雑歌。
- 巻第十七・第十八・第十九・第二十:大伴家持の歌が多く収められており、彼の個人的な感情や生活、交友関係を垣間見ることができる。
万葉集の歌風は、全体的に素朴で力強く、感情をストレートに表現する特徴がある。後の古今和歌集などに比べ、修辞が控えめで、人々の生活に根ざした題材がよく詠まれている。しかし、一方で柿本人麻呂に代表されるような、複雑な構成や技巧を凝らした歌も存在する。
研究史[編集]
万葉集の研究は、平安時代から行われてきた。紀貫之(きのつらゆき)の古今和歌集仮名序には、万葉集について言及が見られる。しかし、本格的な研究が始まったのは江戸時代に入ってからである。
契沖(けいちゅう)の『万葉代匠記』(まんようだいしょうき)は、万葉集研究の基礎を築いたとされる。彼は、万葉仮名の解読や歌の解釈に大きな功績を残した。
本居宣長(もとおりのりなが)も『古事記伝』の中で万葉集について触れており、その文学的価値を高く評価した。
明治時代以降は、近代的な文献学の手法が導入され、より精密な研究が進められた。佐佐木信綱(ささき のぶつな)の『校本万葉集』(こうほんまんようしゅう)は、その後の研究の規範となった。
第二次世界大戦後も、万葉集研究は活発に続けられ、多くの研究者によって新たな知見がもたらされている。上代文学研究の重要な柱の一つである。
現代への影響[編集]
万葉集は、現代の日本文学や文化に多大な影響を与え続けている。多くの歌人が万葉集からインスピレーションを得て作品を創作しており、万葉集を題材とした小説や漫画、映画なども制作されている。
また、新元号「令和」は、万葉集巻五の「梅花の歌三十二首」の序文に由来する。これは、万葉集が現代においても国民的文化財として認識されていることを示す象徴的な出来事であった。
学校教育においても、万葉集は国語の教材として広く用いられており、日本の古典文学の入門として多くの人々に親しまれている。
豆知識[編集]
- 万葉集には、身分の低い人々の歌も多く収められているため、「東歌」や「防人歌」からは当時の庶民の暮らしぶりや心情をうかがい知ることができる。
- 万葉集の歌は、五七五七七の短歌が圧倒的に多いが、長歌や旋頭歌、仏足石歌体(五七五七七七)といった珍しい形式の歌も含まれている。
- 万葉集に収められている歌の数は、写本によってわずかに異なり、約4,500首から4,536首とされている。
関連項目[編集]
参考書籍[編集]
- 小島憲之 他 『新編日本古典文学全集 1・2・3・4 万葉集』 小学館、1994-1998年。
- 青木生子 他 『新日本古典文学大系 1・2・3・4 万葉集』 岩波書店、1999-2003年。
- 伊藤博 『万葉集の誕生』 講談社選書メチエ、2007年。
- 中西進 『万葉集 全訳注原文付』 講談社文庫、1978-1983年。
- 井上靖 『天平の甍』 新潮文庫、1969年。(小説)