呂六十型潜水艦

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呂六十型潜水艦(ろろくじゅうがたせんすいかん)は大日本帝国海軍潜水艦艦級海中型潜水艦の改正型であり、海中3型とも呼ばれることがある。同型艦3隻が建造された。

概要[編集]

ワシントン海軍軍縮条約締結以前に計画された八八艦隊の一翼を担う巡洋潜水艦である海中型潜水艦の更なる発展型として計画された。第一次世界大戦におけるドイツ海軍のUボートの活躍に刺激を受け、日本海軍は潜水艦戦力の拡充を急いでいた。

本型は、海中2型である呂号第二十六型をさらに発展させたもので、機関を2基2軸とし、水上航続性能の向上が図られている。また、主機にはディーゼル機関が採用され、信頼性と燃費の向上が目指された。建造はすべて呉海軍工廠で行われた。

艦型[編集]

本型は排水量約700トン級の中型潜水艦に属する。主機は艦本式ディーゼル機関2基を搭載し、水上速力は15ノット、水中速力は8ノットを計画した。航続距離は水上10ノットで6,000海里を予定していた。

兵装としては、53cm魚雷発射管を艦首に4門装備し、搭載魚雷数は8本であった。また、砲熕兵器として八年式八糎高角砲1門を搭載し、対空および浮上艦艇への対処能力を有していた。

本型は、同時期に建造された呂号第五十一型(海中4型)や呂号第五十七型(海中5型)などと共に、日本海軍の潜水艦部隊の中核を担うこととなった。しかし、太平洋戦争開戦時には旧式化が進み、主に哨戒任務や訓練任務に従事した。

同型艦[編集]

艦名は計画時の第〇潜水艦という仮称から、竣工時に呂号第六十潜水艦、呂号第六十一潜水艦、呂号第六十二潜水艦と命名された。

豆知識[編集]

呂六十型潜水艦は、日本海軍が独自に開発・建造した初期の潜水艦であり、その後の日本の潜水艦開発に大きな影響を与えたんだ。本型で得られた運用実績や技術的知見は、より大型で高性能な潜水艦の開発に活かされたと言われているよ。また、当時の潜水艦としては比較的良好な居住性を有しており、乗員の士気維持にも貢献したと伝えられている。

関連項目[編集]

参考書籍[編集]