日本海軍特殊潜航艇母艦 千代田
千代田(ちよだ)は、大日本帝国海軍の水上機母艦であり、後に特殊潜航艇の母艦に改装された艦である。その艦名は千代田城(現在の皇居)に由来する。
概要[編集]
千代田は、ロンドン海軍軍縮条約の制限下において、水上機母艦として計画・建造された。有事には航空母艦への改装も視野に入れられており、その設計には将来的な航空運用能力が考慮されていた。
本艦の最大の特徴は、太平洋戦争開戦直前に特殊潜航艇「甲標的」の母艦に改装された点にある。これにより、千代田は日本海軍の秘密兵器であった甲標的の運用を支援する重要な役割を担うこととなった。
艦歴[編集]
建造[編集]
千代田は1934年(昭和9年)10月26日に横須賀海軍工廠で起工。1936年(昭和11年)3月29日に進水し、1938年(昭和13年)12月15日に竣工した。当初は水上機母艦として就役し、多数の水上機を搭載・運用する能力を有していた。
特殊潜航艇母艦への改装[編集]
1940年(昭和15年)から1941年(昭和16年)にかけて、千代田は特殊潜航艇母艦へと大規模な改装を受けた。この改装により、後部甲板に甲標的を搭載するための格納庫と発進装置が設置され、最大12隻の甲標的を運用できるようになった。この改装は極秘裏に進められ、千代田は日本海軍の真珠湾攻撃計画における重要な一翼を担うこととなる。
太平洋戦争[編集]
1941年(昭和16年)12月8日の真珠湾攻撃に際し、千代田は特殊潜航艇隊を搭載し、ハワイ近海まで進出した。しかし、投入された甲標的は成果を上げることができなかった。
その後も、千代田はミッドウェー海戦に参加するなど、様々な作戦に従事した。ミッドウェー海戦では、空母の護衛として行動したが、日本海軍の敗北により戦局は悪化していった。
1944年(昭和19年)10月25日、レイテ沖海戦に空母瑞鶴を基幹とする小沢治三郎中将率いる機動部隊の一員として参加した。この海戦において、千代田はアメリカ海軍の空襲を受け、集中攻撃により大破着底した。複数の航空魚雷と爆弾が命中し、遂には転覆し沈没した。
主要諸元(竣工時)[編集]
- 排水量:基準11,190トン
- 全長:192.5メートル
- 全幅:19.0メートル
- 吃水:6.6メートル
- 機関:艦本式タービン4基2軸
- 出力:56,800馬力
- 速力:28.9ノット
- 航続距離:18ノット/8,000海里
- 兵装:
- 八九式40口径12.7センチ高角砲連装8基16門
- 九六式25ミリ機銃連装4基8門
- 搭載機:水上機24機(九五式水上偵察機など)
- 乗員:650名
豆知識[編集]
- 千代田は、同型艦である千歳とともに、その優秀な設計から第二次世界大戦を通じて様々な任務に投入された、非常に汎用性の高い艦であった。
- 特殊潜航艇母艦への改装は、その秘匿性の高さから、当時の軍部でもごく一部の人間しか知らなかった極秘事項であった。
- 真珠湾攻撃で発進した甲標的の乗員の中には、九軍神として祀られた者もいる。