労働者教育協会
労働者教育協会(ろうどうしゃきょういくきょうかい)は、日本共産党系の労働者教育機関[1]。略称は労教協。所在地は東京都文京区湯島2-4-4平和と労働センター5F。
歴史[編集]
1950年1月24日に今野武雄、塚田寿子、金子政喜、宮川實らが戦後初の県レベルでの労働者教育組織として神奈川県勤労者教育協会(神奈川勤労協)を結成[2][3]。1952年5月下旬に神奈川勤労協が中心となって、大内兵衛、大山郁夫、末川博を発起人代表として「勤労者教育のための全国的サービス機関」を作る準備を開始[4]。1952年10月13日に柳田謙十郎、宮川實など116名の学者・文化人と国労、炭労、全自動車、私鉄総連など18の労働組合・農業組合が発起人となって、東京で労働者教育協会(労教協)を創立[4][5][6][7]。学者や専門家などの個人会員と労働組合の団体会員によって構成され、労働組合や学習サークルに講師を派遣した[5]。1953年2月から1955年4月に学習テキスト『社会科学基礎講座(全6巻)』(大山郁夫、末川博監修、宮川實、柳田謙十郎編集。青木書店)を刊行。1953年11月に月刊誌『学習の友』(青木書店。第15号より学習の友社)を創刊。各地で『社会科学基礎講座』や『学習の友』、ソ同盟科学院経済学研究所『経済学教科書(全4分冊)』(合同出版、1955年)をテキストとする学習会が開催された[6]。1954年から1958年まで協会主催の中央労働学校を開催した[7]。
1953年末までに神奈川、大阪、宮城、石川、京都、兵庫、広島、高知、福岡、大分、宮崎の11の府県単位の組織を結成したが[6]、大阪の関西勤労者教育協会(関西勤労教)を除いた多くの組織が1955年頃から財政難のため消滅した[5]。1958年の勤評反対闘争、警職法闘争、1959年から1960年の安保闘争、三井三池争議で活動が活発化。1963年に27都府県、1964年に33都道府県、1965年に42都道府県に都道府県単位の組織を結成[7]。1967年に沖縄、1968年に山梨に組織を結成し、全都道府県に都道府県単位の組織を結成した[5]。
『学習の友』1961年4月号は「構造改革とはなにか」という特集を組み、構造改革論を賛否両論併記で紹介[7]。構造改革論争を契機として日本共産党の介入に批判的な一部分が脱退し、同年に総評系労組の労働者教育機関として労働者学習センターを設立(1962年3月に月刊誌『学習のひろば』を創刊)[8][9]。高垣䙥二郎(元炭労中執、労教協副会長)によると、『学習の友』1961年4月号は構造改革論を賛否両論併記で紹介したが、日共が問題視した。日共の大衆団体への介入を契機に炭労は協会を脱退し、労働者学習センターの発足に至った[10]。思想運動研究所編『左翼30集団』(全貌社、1968年)によると、『学習の友』1961年4月号は構造改革論に対する批判的見解なしの特集であったため、日共が反発。1961年10月の常任理事会で編集部人事の一新を決定。11月の理事会で副会長の高垣礼二郎(炭労)、常任理事の広田久隆(東貨労)、横山不二夫、前野良の4名と編集部員数名を除名、かわって日共系役員を選出し、日共が協会の指導権を掌握。1962年5月の第5回総会で協会の任務として「たんなるサービス・センターではなく、運動を組織し、指導し、統一し、発展させていく任務をもつ運動の全国組織としての使命」を担っているとした[11]。また極東事情研究会『70年代にのぞむ左翼団体』(極東出版社、1970年)によると、日中共産党の対立により、1967年2月の第10回総会で親中共派のぬやまひろし(西沢隆二)、島田政雄、岩村三千夫、中村九一郎、小沢正元、高野実の6名を除名した[12]。
1960年代に「労働者教育のためのサービスセンター」から「労働者の自主的な学習運動組織」へと転換した[5]。1968年に労働運動と学習運動の中堅幹部養成を目的として勤労者通信大学を開校[5]。1973年6月の第16回総会で都道府県学習組織と学者・知識人の個人会員という組織構成を改め、学者・知識人、教育活動家、労働組合活動家からなる個人会員制とし、労組などの民主団体を賛助団体とした。また都道府県学習組織は独立した自主的組織とし、協力共同の関係にあるとした[7]。
統一戦線促進労働組合懇談会(統一労組懇)、全国労働組合総連合(全労連)と協力関係にある。
出典[編集]
- ↑ 田中尚輝「労働者教育とは何か(下)」『社会主義』第215号、協同文化社、1969年11月
- ↑ 宮川實「創刊されたころの思い出」『学習の友』第362号、1983年10月
- ↑ 藤田秀雄、大串隆吉編著『日本社会教育史』エイデル研究所、1984年、216-217頁
- ↑ a b 宮原誠一、丸木政臣、伊ケ崎暁生、藤岡貞彦編『資料 日本現代教育史 2』三省堂、1974年、601頁
- ↑ a b c d e f 辻岡靖仁「労働者階級の学習と学習運動」、記念論文集刊行委員会編『労働運動と労働者教育をめぐる諸問題――柳田謙十郎先生喜寿祝賀記念論文集』学習の友社、1971年
- ↑ a b c 藤田秀雄、大串隆吉編著『日本社会教育史』エイデル研究所、1984年、283-284頁
- ↑ a b c d e 労働者教育協会の70年―ダイジェスト版―(PDF)労働者教育協会
- ↑ 伊藤三次『日本の勤労者教育』日本評論社、1968年、141頁
- ↑ 高橋佐門『日本の労働教育――労働と文化の谷間』評言社、1972年、137頁
- ↑ 「炭労-激闘あの日あの時」編纂委員会編『炭労――激闘あの日あの時』日本炭鉱労働組合、1992年、296-298頁
- ↑ 思想運動研究所編『左翼30集団――こうして日本は破壊される』全貌社、1968年、264頁
- ↑ 極東事情研究会編『70年代にのぞむ左翼団体』極東出版社、1970年、606頁
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 労働者教育協会
- 労働者教育協会
- 労働者教育協会のブログ
- 労働者教育協会 (@rokyokyo) - Facebook
- 労働者教育協会(労教協)[文]1952.10.13『社会・労働運動大年表』解説編