三式戦 飛燕

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三式戦闘機(さんしきせんとうき)は、第二次世界大戦期に大日本帝国陸軍が使用した戦闘機である。愛称は「飛燕」(ひえん)。川崎航空機が開発・製造を行い、液冷エンジンを搭載した日本で唯一の量産型戦闘機として知られる。その流麗な外形と優れた高速性能は、当時の日本機としては異例の存在であった。

開発経緯[編集]

三式戦闘機の開発は、1939年陸軍航空本部川崎航空機に対し、新型戦闘機の試作を内示したことに端を発する。当時、陸軍は中島飛行機一式戦闘機」や中島飛行機二式単座戦闘機鍾馗」といった空冷エンジン搭載機を主力としていたが、将来的な高速性能の追求には液冷エンジンの採用が不可欠であるとの認識が強まりつつあった。

川崎航空機は、欧州における液冷戦闘機の動向、特にドイツ空軍メッサーシュミット Bf109イギリス空軍スーパーマリン スピットファイアなどに注目し、液冷エンジンの導入を模索していた。1940年には、ダイムラー・ベンツ社の航空機用液冷エンジンDB 601のライセンス生産権を取得し、これを「ハ40」として国産化する目途が立った。

設計主務は、九九式双発軽爆撃機などを手がけた土井武夫技師と井町勇技師が担当した。彼らはハ40エンジンの性能を最大限に引き出すため、空気抵抗の少ないスマートな機体設計を追求した。1941年12月、試作一号機が完成し、初飛行に成功した。初期の試験飛行ではエンジンの振動問題などが発生したものの、基本設計の優秀さは確認された。

生産とバリエーション[編集]

三式戦闘機は、1942年から量産が開始された。しかし、主脚の構造やエンジンの不調など、初期生産型にはいくつかの問題点が指摘された。これらの問題は生産中に順次改善され、複数の型が開発された。

  • 三式戦闘機一型甲(キ61-I甲): 初期生産型。武装はホ103 12.7mm機関銃2丁(胴体)、ホ103 12.7mm機関銃2丁(翼内)を装備。
  • 三式戦闘機一型乙(キ61-I乙): 胴体銃をホ103 12.7mm機関銃からホ5 20mm機関砲に変更。
  • 三式戦闘機一型丙(キ61-I丙): 翼内銃をホ5 20mm機関砲に変更。胴体と翼内の全ての武装が20mm機関砲となった。
  • 三式戦闘機一型丁(キ61-I丁): 胴体銃をホ5 20mm機関砲2門、翼内銃をマウザー MG 151/20 20mm機関砲2門(輸入)を装備。一部はホ5 20mm機関砲に換装された。
  • 三式戦闘機二型(キ61-II): ハ140(ハ40の高出力型)エンジンを搭載したタイプ。機体の拡大と主翼の設計変更が行われ、最高速度が向上した。しかし、ハ140エンジンの量産が滞り、生産数は少数にとどまった。
  • 三式戦闘機五型(キ100): ハ140エンジンの生産遅延と故障多発に対処するため、二型に空冷エンジンハ112を搭載した急遽開発された型。性能は液冷型に劣るものの、エンジンの信頼性が高く、終戦まで活躍した。

総生産数は、派生型を含め約3,078機と推定されている。

技術的特徴[編集]

三式戦闘機は、その技術的な特徴から、従来の日本機とは一線を画す存在であった。

  • 液冷エンジン:日本で唯一の本格的な液冷エンジン搭載戦闘機であり、空冷エンジンに比べて機首を細く絞ることができ、空気抵抗の低減に貢献した。これにより、高い最高速度を発揮することが可能となった。
  • 堅牢な構造:欧米の機体設計思想を取り入れ、頑丈な構造を持つ。特に主翼は厚い板金構造を採用し、高速飛行時の負荷に耐えうる強度を確保した。これにより、急降下性能や急旋回時の安定性が向上した。
  • 武装:当初は小口径の機関銃を装備していたが、戦況の悪化に伴い、強力なホ5 20mm機関砲を搭載する型が主流となった。これにより、連合国軍の重装甲機に対する攻撃能力が向上した。
  • 防弾装備:操縦席後方には防弾鋼板が装備され、燃料タンクにも自動消火装置が導入されるなど、パイロットの生存性と機体の抗堪性にも配慮がなされた。しかし、戦局の悪化に伴い、一部の防弾装備が省略されることもあった。

戦歴[編集]

三式戦闘機は、1943年頃から実戦に投入された。当初はニューギニア方面など南方戦線に配備され、アメリカ陸軍航空軍P-40P-38などと交戦した。液冷エンジン特有の高速性能と優れた急降下性能を活かし、一撃離脱戦法を得意とした。

戦局が進むにつれて、三式戦闘機は本土防空戦の主役の一つとなった。特にB-29爆撃機の迎撃に多数が投入され、高高度性能と武装の強化によって一定の戦果を挙げた。しかし、B-29の高速・高高度性能には及ばず、また絶対的な数の不足から、その効果は限定的であった。

末期には、特別攻撃隊の機体としても使用された。終戦まで各地で奮戦し、日本陸軍の主力戦闘機としてその役割を終えた。

評価[編集]

三式戦闘機は、その液冷エンジンという特性から、従来の日本機とは異なる運用思想が求められる機体であった。一式戦闘機「隼」のような優れた旋回性能は持たないものの、高速性と急降下性能に優れ、一撃離脱戦法においては高い戦闘力を発揮した。

しかし、液冷エンジンの生産と整備には高度な技術が要求され、特にハ40エンジンの量産と安定した稼働には終始苦しめられた。これは、日本の航空機産業の技術的未熟さに起因するものであり、三式戦闘機がその真価を十分に発揮できなかった要因の一つとされる。

それでも、その堅牢な構造と優れた基本設計は高く評価されており、空冷エンジンを搭載した派生型のキ100は、エンジンの信頼性向上により実戦で優れた性能を発揮し、終戦間際の日本陸軍を支える存在となった。

豆知識[編集]

  • 三式戦闘機「飛燕」の愛称は、陸軍の制式名「三式戦闘機」とは別に、開発元の川崎航空機が社内呼称として用いていたものである。後にこの愛称が広まり、一般にも定着した。
  • 「飛燕」の美しい流線形の機体は、設計当時、日本の戦闘機としては珍しいものであった。その外観から「空の貴婦人」と呼ばれることもあった。
  • 三式戦闘機の主翼は、連合国軍のP-51「ムスタング」の翼断面形を参考に設計されたという説があるが、これは事実ではない。独自の設計に基づいており、当時の日本の空力技術水準の高さを示す一例である。

関連項目[編集]

参考書籍[編集]

  • 碇義朗『最後の戦闘機「飛燕」』光人社、2000年。ISBN 978-4769809633。
  • 渡辺洋二『液冷戦闘機 飛燕』文林堂、2002年。ISBN 978-4893190807。
  • 潮書房光人新社『丸スペシャル 日本の戦闘機 飛燕・紫電改』潮書房光人新社、2014年。ISBN 978-4769815771。