ルクセンブルク国鉄
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種類 | 1997年3月28日の法律に基づく特別法株式会社 |
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略称 | CFL |
本社所在地 |
![]() ルクセンブルク市 |
設立 | 1946年5月14日 |
業種 | 運輸業 |
事業内容 | 鉄道事業 |
代表者 | ヤンノト・ヴァリンゴ |
営業利益 | 10億7340万ユーロ |
従業員数 | 4968人 |
所有者 | ルクセンブルク政府 |
外部リンク | https://www.cfl.lu/fr-fr/ |
ルクセンブルク国鉄(フランス語:Société Nationale des Chemins de Fer Luxemboururgeois、略称:CFL)とはルクセンブルク大公国の国有鉄道会社で、ルクセンブルクの鉄道網を保有し、国内及び国際列車の運行を行っている。
概要[編集]
CFLは旅客及び貨物サービスを運営しており、ルクセンブルクの公共交通およびその地域の国境を越えた鉄道輸送も行う。またプファフェンタール-キルヒベルク間のケーブルカー、国内バス路、ザールブリュッケン中央駅、ロレーヌTGV駅への急行バスも運行している。
CFLは4968人の従業員を擁しており、ルクセンブルク大公国が94%、ベルギー王国が4%、フランス共和国が2%保有している。2020年3月1日よりルクセンブルク国内のCFL公共交通機関(1等車は除く)は無料で利用することができる。これは道路の交通渋滞を緩和するためである。日本でもやろう。
歴史[編集]
Société Royale Grand-Ducale des Chemins de Fer Guillaume Luxembourg (GL)は1857年3月2日にルクセンブルク市で設立された。2年後、ルクセンブルクとフランスのベタンブールを結ぶ最初の鉄道が開業した。1859年10月5日にルクセンブルクからベルギーへの鉄道路線が開業し、そしてルクセンブルク駅が正式に開業した。
第二次世界大戦中1940年から1944年にかけてルクセンブルクのドイツ占領期間は、ルクセンブルクの全ての鉄道会社がドイツ帝国鉄道に統合され、ドイツの鉄道網に強制的に統合された。1944年にドイツ国防軍が撤退した後、鉄道施設、全ての鉄道駅、ほとんどの鉄道車両が破壊された。しかし、終戦後、ドイツ国鉄傘下のルクセンブルクの鉄道3社の統合が契機となり、1946年に合併後ルクセンブルク国鉄が設立された。
構造[編集]
CFLグループは17の子会社を持ち、さまざまな事業で活動している。
- CFLカーゴ:デンマーク、ドイツ、フランス、スウェーデンの子会社と協力してルクセンブルク及びヨーロッパで鉄道貨物サービスを提供している。
- CFL EVASION:完全子会社の旅行代理店。
- CFL mobility:カーシェアリングサービス
- CFL multimodal:r
- Lorry-Rail S.A.
- 'Norddeutsche Eisenbahngesellschaft Niebüll
- CFL immo:鉄度インフラの管理・開発
鉄道網[編集]
CFLは1995年までルクセンブルクの鉄道網を所有していたが、1995年5月10日の法律に基づきルクセンブルク政府がインフラの所有権を自らに移譲し、鉄道網の運営、保守、開発を CFLに委託した。その結果、CFLは今日に至るまでルクセンブルクの鉄道網の唯一の運営者となっている。
ルクセンブルクの鉄道網はルクセンブルク駅を中心に星型に鉄道網が広がる。
運賃[編集]
2020年2月29日より2等車の乗車料金は無料となった。切符が必要なのは1等車のみである。
また「ラインラント=プファルツ州切符+ルクセンブルク」というラインラント=プファルツ州とザールラント州、ルクセンブルクの交通機関が運行るすべての公共交通に乗れるフリーパスなどを販売している。
車両[編集]
ルクセンブルクの鉄道車両の数は自国での開発を正当化するほど多くないため、隣国のフランス、ベルギー、ドイツの車両設計に基づいている。
CFLは全ての列車に24時間体制で常務員が乗務しているボンバルディアTRAXXシリーズの2階建客車とボンバルディアTRAXXシリーズの機関車のプッシュプルが主に使用される。
ルクセンブルクの鉄道網はすべて電化されているため、気動車・ディーゼル機関車は運行されていない。ただし一部の工場専用線などは例外である。このためにCFLは未だディーゼル機関車の一部を使用し続けている。
→詳しくはルクセンブルク国鉄の車両を参照。