ルイ12世

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ルイ12世(英:Louis XII)とは、フランス・ヴァロワ朝の8代目国王。

生涯[編集]

1462年6月27日、オルレアン公シャルル(シャルル5世の孫)とマリー・ド・クレーヴの息子として産まれる。1488年ルイ11世に対する反乱に加わった罪で投獄されたが3年で釈放された。1498年、フランス王シャルル8世が男子を残さず崩御したため、ルイがルイ12世として即位した。

ルイは国民の税負担の軽減や教会支配の強化に努め、三部会からは「民衆の父」の称号を与えられた。シャルル8世が始めたイタリア半島への介入政策(イタリア戦争)も引き継ぎ、ナポリ王位継承権とミラノの統治権を主張してイタリアに侵攻したが撃退された。1515年1月1日に崩御。享年52。次のフランス王にはルイの従兄弟甥で、娘婿でもあるフランソワが即位した。

王妃[編集]

ルイ12世は生涯で3度結婚した。1人目はルイ11世の娘でシャルル8世の姉のジャンヌ・ド・フランスである。彼女は容姿が醜く、足が不自由だったため世継ぎは生まれず、また後述のアンヌと結婚するために離婚裁判を起こした。ルイはローマ教皇アレクサンデル6世を買収する事で離婚を認めてもらった。

2人目はアンヌ・ド・ブルターニュ。領土的野心からの政略結婚だったが夫婦仲は円満で、8人の子供をもうけた。しかし男子は全員夭折してしまい、成長したのは2人の女子だけだった。

1514年にアンヌが死去すると、イングランドとの同盟のためヘンリー8世の妹メアリー・テューダーと結婚するが、わずか3ヶ月後にルイ12世が崩御した。