ポーランド王国

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ポーランド王国(ポーランド語: Królestwo Polskie、ラテン語: Regnum Poloniae)は、中世後期から近世にかけて中央ヨーロッパに存在した国家である。その歴史は、ポーランド公国が王国へと昇格した1025年に始まり、1795年の第三次ポーランド分割によって終焉を迎えるまで、様々な変遷を辿った。特に1569年以降はリトアニア大公国と結合し、ポーランド・リトアニア共和国の主要な構成国としてその名を馳せた。

歴史[編集]

ポーランド王国の歴史は、その誕生から滅亡に至るまで、隣接する大国との関係、内部の政治的変動、そして文化的な発展によって特徴づけられる。

建国と初期の発展[編集]

ポーランド国家の起源は、966年にミェシュコ1世キリスト教を受容したことに遡る。彼の息子であるボレスワフ1世勇敢王は、1025年にローマ教皇から王冠を授与され、ここにポーランド王国が正式に成立した。初期のポーランド王国は、東方からの異民族の侵入、特にモンゴル帝国の襲来に苦しめられたが、カジミェシュ3世大王の治世(1333年-1370年)には、国内の法整備、経済発展、文化振興が進み、「黄金の自由」と呼ばれる時代への基礎が築かれた。彼はクラクフ大学の創設者としても知られている。

ヤギェウォ朝とポーランド・リトアニア連合[編集]

ヤギェウォ朝(1386年-1572年)の成立は、ポーランド王国の歴史における転換点となった。リトアニア大公であったヴワディスワフ2世ヤゲウォがポーランド女王ヤドヴィガと結婚し、ポーランド王に即位したことで、ポーランド・リトアニア連合が成立した。この連合は、ドイツ騎士団に対するグルンヴァルトの戦い(1410年)での勝利によってその力を内外に示し、中央ヨーロッパにおける大国としての地位を確立した。1569年にはルブリン合同が締結され、ポーランド王国とリトアニア大公国は、国王を共有する単一の国家であるポーランド・リトアニア共和国ジェチュポスポリタ)へと発展した。この時代は、ポーランドが文化、芸術、科学の面で隆盛を極めた「ポーランドの黄金時代」として記憶されている。

選挙王政と衰退[編集]

ヤギェウォ朝の断絶後、ポーランド王国は選挙王政へと移行した。これは、国王がシュラフタ(貴族)による選挙で選ばれる制度であり、シュラフタの「黄金の自由」を保障するものであったが、一方で国王の権力を弱体化させ、国内政治の不安定化を招いた。隣接するロシア帝国プロイセン王国ハプスブルク帝国といった大国の台頭と、内部の弱体化が相まって、ポーランド王国は徐々にその独立性を失っていった。特に17世紀から18世紀にかけては、度重なる戦争(北方戦争など)と内乱によって国力が疲弊した。

ポーランド分割と終焉[編集]

18世紀後半、ポーランド王国は周辺大国によるポーランド分割の犠牲となった。1772年の第一次分割、1793年の第二次分割、そして1795年の第三次分割によって、ポーランド王国は地図上から姿を消し、その領土はロシア、プロイセン、オーストリアによって併合された。これにより、約770年続いたポーランド王国の歴史は幕を閉じた。

政治[編集]

ポーランド王国の政治体制は、時代によって変遷したが、特に選挙王政期には、セイム(議会)におけるシュラフタの権力が強大であったことが特徴である。国王はパクタ・コンヴェンタと呼ばれる契約書に署名し、シュラフタの権利を保障しなければならなかった。これは、現代の立憲君主制の萌芽ともいえるが、国王の権力を制限しすぎたために、強力な中央集権国家の形成を阻害した側面もあった。

社会[編集]

ポーランドの社会は、大きく分けてシュラフタ(貴族)、聖職者都市民(ブルジョワジー)、農民の四つの階層に分かれていた。シュラフタは、広大な領地と政治的特権を享受する支配階級であり、彼らの「黄金の自由」はポーランドの政治システムの中核をなした。農民の多くは農奴であり、土地に縛られ、貴族に奉仕する義務があった。

経済[編集]

ポーランド王国の経済は、主に農業に依存しており、特に穀物の生産が盛んであった。ヴィスワ川を利用した穀物貿易は、バルト海諸国との間で活発に行われ、ポーランドの経済を支えた。しかし、西ヨーロッパにおける資本主義の発展から取り残され、農奴制の維持が長期的な経済発展の足かせとなった。

文化[編集]

ポーランド王国は、ルネサンスバロックといった西ヨーロッパの文化潮流の影響を受けながらも、独自の文化を発展させた。コペルニクスのような世界的な学者を輩出し、ポーランド語の文学もこの時代に発展した。特に黄金の自由期には、サルマタイズムと呼ばれる独特の貴族文化が栄えた。

豆知識[編集]

  • ポーランド王国が最後に独立を失ったのは1795年ですが、ポーランド人はその後も独立への強い意志を持ち続け、ナポレオン戦争期にはワルシャワ公国が一時的に成立し、第一次世界大戦後にはポーランド第二共和国として再び独立を達成しました。
  • 「ポーランドの黄金時代」は、ヤギェウォ朝の最盛期を指すことが多いです。
  • 「黄金の自由」という言葉は、ポーランド貴族の特権的な地位と、彼らが享受した広範な政治的自由を象徴するものです。

関連項目[編集]

参考書籍[編集]

  • 伊東孝之、井内敏夫、栗生沢猛夫編 『新版 世界各国史20 ポーランド・ウクライナ・バルト史』 山川出版社、1998年。
  • 宮島直機 『世界歴史の旅 ポーランド』 山川出版社、2000年。
  • 渡辺克義 『ポーランド史』 中央公論新社、2007年。